風車のある風景。

f:id:mursakisikibu:20191008195702j:plain

パソコン画を初めたころの作品。

稚拙だがやっぱり懐かしい。

しかし

 

こうして眺めていると、ヘタなりに

愛着がある。

風車のある風景。

 

壁紙もレトロで山田先生に感謝である。

 

思えば師の影響をたくさん受けがて今があるが

残念ながら、今のわたしは全く進歩していない。

それどころか、忘れていることが多く

地団駄踏んでいる。

生かされているということ。

f:id:mursakisikibu:20180623144618j:plain

2014年 11月29日

回顧録です。

 

 

病気の発症からひと月あまりが経つことは何度か触れている。

一番驚いたのは文字が書けなくなったと。

何ということか。

自分でも信じられなかった、

焦った・・・

 

書けないというより文字の組み合わせそのものがわからなく

なり左側は思い出せても右側がまったく出てこなかったり。

文字はヘンや造りの組み合わせになっていて、両方が

思いだせないことには一つの文字として成り立たない。

 

ミミズがはったような、頼りない文字の羅列。

それでもボールペンを使い日常のことを書き綴ったことが

幸いしたのか少しずつ字を思いだした。

「ひゃ~~、わたしより漢字書けますやんか!」

「わたし、ここまで書けませんよう~~」

大阪弁で療法士さんは喜んでくれた。

そして多少マシな、見られる文字が書けるようにもなったのだ。

これには理学療法士さん援助も大きい。

ありがとう。

半月以上を要していた。

 

健康なひとでも字は書かないと忘れる。

自分の手や脳を使い「書く」ということの重要性を認識した。

メモでもいいからどんどん書くこと!

パソコン以外でも文字を書くようしなければ・・・。

 

デジタルが主の今の時代、若い世代に影響はないのだろうか。

便利さの裏にはいつも副作用がある。

かといって以前のようには戻れないことも承知はしているが怖い。

 

一方、キーボドを打つことにも、何らかの影響や変化が出ている。

すっと打てないのだ。

頭のなかでキーボードの文字列が変わっており、いつも同じところを間違える。

スピードも落ちた。

 

あれほど好きだった文章を書くことが億劫になっている感がある。

いずれ、それらは改善されるのか否か。

とにかく大学ノートを買ってきて漢字の書き取りをやろう。

 

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 

 

2014年のブログである。

まだ、スイスイと文字が打てている。

 

2回目の発症で脳を開いた。

どちらも後遺症が少なく現在に至っている。

有難い

 

神様と担当医に深く感謝している。

以前より、頭の回転も遅く行動もスローだが

それでも生かされていることに感謝だ。

ささやかな花遊び。

 

f:id:mursakisikibu:20171124160505p:plain

 

一気に秋が深まった。

朝晩は肌寒いぐらいだ。

 

昨日、花の植え替えをやった。

枯れた草花も多く、それらを整理して

新しく植えた。

花の手入れは心なごむ。

まだ完全ではないが、きれいに植えられたら

ブログにアップしよう。

ささやかな、ガーデニングは元気をもらう。

思い切って大きな鉢に植えた。

 

ゆったりして大きく育ちそうだ。

花の名前も確認して立て札を付けなければならない。

ワクワクする作業だ。

生かされていることに感謝。

f:id:mursakisikibu:20191001194454j:plain

古い画像です(^^)/

 

このとろ、体調が今一つ。

気分は落ち込むことはないけれど

すっきりしない。

 

昨日は4か月ぶりの検診。

緊張した。

眼が主な原因だが、それだけではない。

吐き出そうにもまだその域ではない。

 

いろいろ考えあぐねては、一つの結論に行きつく。

それは、生かされているということ。

三途の川を渡り、戻ってきたような感じだ。

 

感謝しかない。

楽しく生きよう。 

 

燃えるような彼岸花。

f:id:mursakisikibu:20190927142603j:plain

 

燃えるような彼岸花

ブログ友から頂きました。

季節を感じます。

 

我が家にもかつて群生していたのに、いつのまにか

咲かなくなっている。

 

開発の波にのまれて、ささやかな楽しみも

無くなっている。

 

彼岸花は、秋の代名詞。

萩の花も好きですがインパクトのある

朱色の彼岸花に軍配を上げよう~