姐御と言われていたころ・・・

こちらにブログを始めてからI氏が、よくコメントをくださる。
激励や慰めや応援など頼もしい限りである。
嬉しく応酬しお顔は見えないけれど温かみを感じ、ネットのおもしろさを
実感しているところである。


先日は「不良しましょう!」と、けしかけてもくれた。
「最近、花ばかりみつめている」とブログに累々と連ねて
いるせいかも知れない。
ひょっとして文面から楚々としたイメージを抱かれているのかもしれない。
だから心配して外へ出ましょう!と言ってくださっているのだ。


生憎とわたしは「不良オバサマ」は卒業したと思っている。


あんまり大きな声で言えないけれど・・・・
50代半ばまでのわたしは仕事、仕事・・仕事中心の毎日で
その沿線上にある飲み会など断ったこともなく、機嫌よく、時に
夜を徹して語り合ったこともある。


結婚している50女がシンデレラタイムを越すなど言語道断!
そのことが原因で亡き夫と喧嘩したこともあるほどだ。


仕事をしていると当然、不本意なことを要求されることもあるし
終わってから打ち合わせと称して呑むこともある。
お酒は飲むというより仲間との潤滑油の役目を果たしていた。


若い社員を引き連れて、青臭い議論を交わすのが好きだった。
「わたしについておいで!」と言わんばかりに薄給のなかから
振舞うこともあり「姐御」役を演じていた。


基本的には、男女問わず若い人より、年上が好きである。
人生の先輩は学ぶこと多しで、同世代とのお付き合いには
物足りなさを感じるほうである。


くだんの事務局のヘッドをしていた男性軍も現役を退いた人
ばかりだから当然、年配者が多い。
どういうわけか、わたしはそのオジサマたちに可愛がられ鍛えられた。
俯瞰的にモノを見る目を養われたのもこのころである。


寄り合い所帯のような複数の団体事務局がひしめいている部屋で
机を並べて仕事していると同世代にはない面白みがあり
いろいろ人生について薀蓄を語ってくれる。


海千山千の人生経験ゆたかな彼らは「オヤブン」と慕われ
わたしは「アネゴ」と呼ばれていた。


オヤブンたちとアネゴは、廊下中に響き渡るほどの大きな声で
笑い、会話し、他の顰蹙などものともしていなかった。


いまわたしは淑女然とし、クラシック音楽と花を友に、喧々諤々とは
縁のない世界にいる。


これもまた愉し。


京都清水寺の新緑