生きた証し

夫が他界して5月で7年になる。
自分の誕生日に旅立った。
生きていると今年、還暦を迎える。


この7年ほどの月日は、ずいぶん遠いことのように思われるし
つい最近のことのようにも感じる。


居ない、会えない、話すことができない、手の届かないところに
行ってしまった・・・
慣れとあきらめ・・・
人が死ぬというのは、そういうことなのかと残された人間は思う。


夫は30歳を少し過ぎて「家族性ポリポージス」を発症した。
家族性というのが曲者で遺伝性が高い。
夫の実母、実姉も同じ病で発症して、
闘病は短いけれど激痛で苦しみながら半年で逝った。


夫は、母や姉をなくした5年後ぐらいの発症になる。


夫の発症の一因はストレスにあると思っている。
もちろん遺伝的なこともあるけれど、そのことが大きい。


母親が逝く前に遺した言葉は
「父親の仕事を継いでくれ」という願いだった。


明治生まれの父親は、棟梁で工務店を営んでいた。
夫はこの家業が好きではなく、わざわざ他の職業についていたのに
逝った母親と、残された父の願いを受け入れる。


自営業でこちらが経営者であるにも関わらず
職人さんたちの風当たりは予想以外にきつく
毎日毎日、慣れない仕事と人間関係からくる
ストレスはずいぶん彼の身体を侵食したものと思える。


それ以前に母親の病があり、あっけなく去っていったことは
大きな悲しみだったに違いない。


わたしたち夫婦は結婚して間もないころから
夫の両親を看取り、実姉を送り、また夫の病という
予期しないことに遭遇している。


幸か不幸か、夫の場合は早期発見と治療で延命が計られた。
最新の医療を施したことも功を奏している。
さいわいにしてと、喜べないのは、術後の後遺症が思いのほか
重く、度重なる合併症に苦しむことになる。
「あのとき手術を選ばなければ良かった・・・」
何度も夫の口からこの言葉を聞いた。


激痛で苦しみ、入退院を繰り返す夫が
「何のために生まれてきたのか」と自問するように
つぶやくのを、わたしも同じ思いで聞いていた。


温和で深山幽谷の清水のようなさわやかな心根の夫が
どうしてこんな苦しい目に遭うのか・・・と。


仕事もできない。
男としての役目も果たせない。
家族を養うこともできない。


夫の苦悩は病だけではなく、生きることすべてに関わっていた。
確かに子育てがあり、生活を維持しなければならない。
その闘病は、22年ほど続いた。


「オレは何のために生きてきたのか、何の証しも残せない」
最期に近くなったころ、夫は呻くようにつぶやいた。


「生きてきた証し?それは子ども二人よ」
即座に、言ってのけた。
こんな立派な証しがあるだろうか。


その証しの子どもたちは、耐乏生活にもめげず、それなりの伴侶を得て
普通?の暮らしをしている。


今の混沌とした時代にあって、「普通の暮らし」が
できることは、しあわせだと思える。


この季節になると、亡き夫の生き方を思い出す。


春日井桜