スープのさめない距離?

今日のY紙の人生案内に、義母と同居の20代主婦からの相談が載っていた。


近くに住む義姉が子どもを連れて、毎週わが家に泊まりに来る。
人間的に嫌いではないが、こうも煩雑だと自分のくつろげる時間がない。
毎週泊まられるのがいやなのだが、自分は心が狭いのか、それとも
じっと我慢すべきか・・・とある。


これを読んで、30数年前のわが身に思いを馳せた。
わたしも結婚当時、夫の両親と同居してしていた。


そしてスープの冷めない距離に住む義姉は、毎日のように小さい子どもを
連れてわが家へ来て、一日の大半を過ごし
時に夕食も入浴も済ませて、帰っていく。


また車で1時間ほどの距離に住む長姉家族も、子ども3人を引き連れ
週末になるとやってきていた。


彼女たち家族の食事の世話など当然、嫁の仕事になる。
騒々しく、忙しい週末を終えるとぐったりして
いつも頭のなかには、別居したい気持ちが渦巻いていた。
夫婦だけで暮らす近所の同世代のひとが羨ましくて仕方なかった。


ふたりの義姉たちがこちらに来ない日常は
姑と嫁であるわたしたちは、平穏で波風立たず
どちらかというと仲も良いほうだった。


社交上手で、人をもてなすことに長けていた姑からは
いろいろ学ぶことがあり、同居3年ほどのちに他界したが
生き方の基盤を教えてもらったように思い、感謝している。


けれど「小姑鬼千匹」といわれる、夫の姉たちの頻繁な訪ないには
いまでも辛く、苦い思いがしている。
盆や正月の長い滞在には、本当に逃げ出したくなるほどの
嫌悪を感じたこともある。

やがてその近所に住む義姉は、姑の逝去後、半年を待たず
冥界へ行き、舅は5年ほどあとに他界している。


夫の両親亡き後、さすがにもう一人の義姉家族との
付き合いは薄くなり、行き来は少なくなった。


夫の発症は、親子4人の水入らずの安寧な日々が始まった途端である。

経済的、精神的負担が押し寄せてきたけれど
このことに関して、さほどの苦は感じなかった。


なぜなら、結婚当時味わったあの抑圧された生活に比べ
何と気分的に楽だろうか・・という思いが強い。
それぐらい、あのころの精神的負担は重かったのだ。


だから、前述の投書の主の気持ちがよくわかる。
どんなにいい人でも、くっつき過ぎると息がつまりそうになるし
せっかくのいいところが見えなくなる。


スープのさめない距離に暮らしても、ほどほどの距離を
保ちながら暮らすのが知恵だと思える。


はねず(庭梅)万葉集に詠われている花です。