ありがとう


ケニーキンデル・ヨーゼン


夫の祥月命日が過ぎた。


1年に一回しか訪れないその日。
しかも誕生日が重なっている。
生きていると、今年は60歳。


長い闘病ではあったが気持ちも容姿もしなやかで、若かった。
自分の苦を推して家族のことばかり心配する優しい気持ちの主でもあった。
大腸ポリポージスから数回の腸ねん転や閉塞を繰り返し
小腸まで切除するにあたっては、口からモノが入らず
長年、食事節制が続いた。
大食漢のようなひとである。
食べたいことを我慢するのも辛かっただろう。
人間の基本的な欲求を満たすことは難しかった。


いまごろ、あの世でしゃきっとして、食べたいものを食べ
痛みもなく、すずやかな顔でいるかなぁと思いを馳せる。


逝った数日後、夫は夢に現れた。
さっそうと自転車に乗り、にこやかに通り過ぎた。
とても元気そうである。
若い頃の、そのままである。
それ以来夫の夢を見ていない。
息子は「時々夢のなかにオトンが出てくる!」と言っている。


逝ってしまった7年のあいだにずいぶん環境が変わってきた。


娘の結婚も知らない。
初孫の潤平も2番目のかえでも見ていない。
そして息子にお嫁さんが来たのはずっとあとである。

あの世とやらから見て、知っているかな。


今年の祥月命日は、特別にお坊さんをよばないことにした。
家族だけで集まりゆっくりご飯を食べ、逝ったお父さんの
思い出話をしようと言うことになった。
ご供養は自分たちでしようということになった。
近親者だけで読経を執げることが、故人は一番よろこぶと聞いている。


バラ寿司やうどんや竹の子の煮物など夫の好物を供える。
氷の入った水も忘れてはいけない。
最期にすごく欲しがっていたものだ。


幼稚園が終わったあと、娘はふたりの孫を連れて我が家へやってきた。
「ジイジこんにちは!」
潤平は元気な声で挨拶をし、ガーンと大きく鐘をたたく。
かえでは小さい手を合わせ、お兄ちゃんを見習い神妙に仏壇に頭を下げている。
亡き夫が見おろしているような気がする。
目を細めてオチビさんたちをみているかも知れない。


仕事を終えた息子夫婦が夜遅くに訪れた。
父親の好きだったタバコに火をつけ仏壇に供える。
ビールを開け父親のコップに注ぎ、ゆっくりと二人が対面している。


末期のころ、家から近い病院へ点滴に通うことすら大変なことだった。
もう少し息子の結婚が早ければ、自宅でそれを行うことができるいま
看護師であるお嫁さんの手を借りられたかもなどと、みんなが思う。


息子夫婦も、娘たち家族も、つつがなく暮らしている。
我が家から車で10分ぐらいの近距離に住んでいる。
いま医者とは縁のない生活を営んでいることが
最大の喜びであり、親にとっての孝行であると思っている。


安寧な日常を、みなが送れることに感謝している。
いつも見守ってくれてありがとう。
夫をしのび、たくさんの思い出話しをすることが供養であると思っている。


ありがとう、これからもよろしくね。


ゴールデン・セプター