朝三暮四 (ちょうさんぼし)なれど、結果は異なる

クィーンエリザベス



民主党政権の公約である『子ども手当て』の支給が来月から始まるようである。
先にも書いたが、わたしには支給対象者のおチビちゃんが2人おり、嬉しい限りだ。
娘も期待し待ち望んでいる。


この支給を各種業界が手ぐすね引いて、さまざまの販売計画をしていると聞く。
学習塾は新規生徒の獲得をめざし、金融機関は新たな定期預金の確保を、
出版社は新企画の印刷に入り、小売業の百貨店やスーパーから
商店街までも消費を期待し、旅行業界はいろいろな新機軸で国内外の旅行に誘う。


子ども手当てが文字通り、子どもたちのために支出されることを願うばかりだが
ステーキに化け、欲しかった衣類になり、親子のリクリエーションなど
に支出されれば、一家だんらんの機会も増す。
単に預貯金するのではなく、しばらく経つと賢い消費力を身につけるだろう。
いずれにしろ、民主党がめざす消費の拡大による
内需主導の経済への転換になるのではないだろうか。


それにつけても、TVのニュース番組のなかで、向けられたマイクに
“したり顔”で、「財源がねぇ」というコメントの放映が多い。
どうして財源を心配するのか?


よくよく考えてみると、これは長期にわたって享受してきた既得権を失なった
『政、官、財』のプロパガンダではないのか。


その財源といえば、一般会計と特別会計しかなく、ほかに打ち出の小槌はないはず。
日本が世界第2位の経済大国にいたるまで機能した、
いわゆる『政、官、財』の予算配分機能が時代に対応しなくなり
旧来の制度のために国民が犠牲にさらされている。


この再配分を考える時、「どんぐりを朝に三つ、暮れに四つやる」の発言に怒った猿に、「朝に四つ、暮れに三つやる」と言い直し、それを聞いた猿は大変喜んで承知した、
中国の戦国時代(紀元前403年から同207年)の
故事、『朝三暮四』を思い浮かべてしまう。


ちょうどいま自民党の『政、官、財』は、この故事の猿のように怒って
民主党の政策に悶着を言っているのではないかと思える。


「朝三つで暮れ四つ」も「朝四つで暮れ三つ」一日の総数は
いずれも七つの同数である。


国家予算も同数であるが、民主党はその再配分を異にしたいのだ。
つまり、子ども手当てに予算配分がされれば、当然ながら
コンクリートへの配分は削減されなければならない。


そうなると既得権者は、その分配の按配でこれまで得てきた
利益(政治家の場合は、カネ、票から日々の茶菓子まで)失うことになる。
(コンクリートへの支出の削減が経済成長の鈍化になると心配するむきもあるが
高校の無償化も家庭の支出増大の刺激になることを期待したい)


今年度の予算は自民党の下敷きの上に作成を余儀なくされた。

来年度は民主党自前の予算案をつくることを期待し
『政、官、財』癒着の構造から『人=国民』への
政策転換の実行を願うばかりである。


わたしはひとりの主婦に過ぎないが、政治は国民のため、
国家百年の計の為にしてもらいたい。
特定の政党や、特定の政府機関、特定の団体や業界のための
政治はオコトワリである。


聖火