人も歩けば・・・

ハコバがずっと咲き続けています。


雨の合間を縫って銀行や諸々用事を済ませようと外へ出た。
けっこうな雨量だったのか、マンション近くの河が増水していて
流れが早いが水が澄んでいる。


砂のあいだから黒い大きい鯉が群れているのが、見える。
休日には子どもたちが釣り糸垂れて鯉など釣っているけれど
「あとどうしているのかしらん?」と思うほど鯉はグロテスクなほど大きい。
みんなが橋の上からパンくずなど与えるから、どんどん太る。
もちろん食することなどできないだろう。


雨上がりの散歩は涼しくて気持ちがいい。
木々がまだしっとり濡れて雫が輝いて見える。


昨年から国民年金を払っている。
毎年4月分から金額が上がることは知っていたけれど
1か月1,000円近いアップだ。
まだ2年近く払い続けないといけない。
早く60歳になりたいなぁなどと思いながら窓口で振込みをしていると
となりのカウンターから見覚えのある声が・・・
なんと、以前の勤務先の女性である。


「相変わらずお忙しくされているかなぁと思っていました」と彼女。
ほんと、懐かしい。
辞めたあと一度もその職場を訪れたことはない。
実母の介護のこともあって突然、その職を辞したのだけれど
辞めたとき、実は大変ホットしたものである。


その職場の在籍年数は長くないけれど、この経験が後々
生かされるのだから何が幸いするやら、わからない。
そのとき初めての「事務職」の経験だった。
もちろん会計などやったこともない。


同じデスクワークでも、長年やっていた専門職とずいぶん違う。


その職場はPCやインターネットに通じている人材を探していて、
そちらの役員から紹介され、就職したのが運のつき、といおうか。



地域的な特性もあるが、保守的で因習の深いオフィスはわたしには合わない!
と直感した。
しかし人を介しての就職なのですぐに辞めることはできない。
仕事の中身は、それまでの職種と異なるが、
蓄積した職務経験が生かせてそれなりに面白かった。
しかし閉鎖的な抑圧された人間関係から「突発性難聴」を患ってしまった。
夫を亡くして半年後のことである。


そのころは母の病気のこともあり、そのことを理由にスパッと辞めた。
わたしにしてみれば、「4年も我慢できた」というのが実感である。
その代償が「突発性難聴」であるけれど、もちろん他にも要因はある。


相変わらず旧態依然としているらしい職場に
彼女が入って6年が経過しているという。
「休みの日は求人案内にいつも目を通しています!」
職場を変わりたいと思ってもいまの就職難では急にはみつからない。
銀行の片隅でヒソヒソと話を続けるのも憚れる。
いろいろ聞きたいことがあるらしく、あとの再会を約束して別れた。


そのあとショッピングセンターで買い物をしていると
また見知ったお顔に出会い、また立ち話しである。
中年おんなたちの、場所をわきまえない会話はつい長くなる。
あごも疲れる・・・


「犬も歩けば棒に当たる」というが人間も歩けばひとに出くわす。
他愛ない話であるが、50歳を過ぎた女性のそれぞれの生きてゆく様を
聞いたことは、嘉としたい。



初夏のわれに飽かなき人あはれ
永田耕衣



また半開きのアメリカンブルー