やっと言えた・・・。



「良かったら赤ちゃんを、抱っこさせてもらえません?」
隣の家のインターホンを押し、これだけ伝えるのに約一年かかっている。
ドキドキした。
そしてドアホン越しでの奥さんとのやり取りが、なぜかほっとして
胸がほころんでくるのを覚えた。


お隣に新婚さんが越してきたのは、2年ほど前である。
20代ぐらいの細身のお嫁さんとお婿さんが引越しのあいさつに来た。
できちゃった婚なのか、お嫁さんのお腹が大きい。
予定日を訊くと、わが娘の第2子とさほど変わらない時期である。


そして子どもが生まれた。
男の子か、女の子かわからないがよく泣く。
ふぎゃぁと甘えて泣く声ではなく、激しく痛みでもありそうな泣き方なのである。


昨年から仕事を辞めて家にいるようになったわたしは、終日その泣き声を
耳にすることになり、心配でたまらない。
夜中も長いあいだ、泣き叫ぶ。
抱き上げたら泣き止むのにどうして抱かないのだろうか。
どうしていつまでも泣いているのか。
走り寄って子どもを抱き上げたい衝動にかられる。


虐待?の思いがちらりと湧く。


わが家にも似たような月齢のおチビがおり、こちらは
いつも機嫌よくニコニコしていてめったに泣かない。
情緒が安定していると子どもは安心してよく眠る。


赤子は日中に外に連れ出すと、機嫌がよくなることもあるが、
隣であってもその母子を見ることがない。
激しく長いあいだ、泣き止まないとき、よほどチャイムを鳴らし
どうしたのか、と質したい心境になる。
若い母親がオロオロしているようで、何か手助けにならないかと
気をもむのである。


この思いは、赤ん坊の家を挟んだお隣の奥さんも同じらしく
泣いているときに下手に声をかけると、母親によけいな負担がかかり
それが逆効果になっては大変だし・・・と二人が気をもむ。
しかし夜中の激しい泣き声は、ちょっと異常よね、ということになり
一応マンションの管理センターには届けておいた。


そのよく泣く赤ん坊が1歳を迎えるころ、なんと二人目が生まれるという。
エレベーターでその若いお母さんと会い、そのことを知った、と
隣の奥さんが驚いていた。
かくして二人目がこの春ごろに生まれたようだ。
ヨチヨチ歩きの1歳になった赤ん坊の泣き声がしなくなったのは
たぶん、どちらかの祖父母宅へ預けられたためだろう。


1ヶ月ほどして、その1歳も帰ってきたようで、賑やかな声がしている。
相変わらずよく泣いている。
小さい二人の育児は大変だなぁと隣のわたしは、見守っていたが
そのうち、保育園にでも行き出したのか、昼間は声がしなくなった。


下に生まれた赤ん坊が、また長いあいだ泣くようになっている。
泣き方が尋常ではないように思えることがある。
気になって仕方がない。
ベランダ越しに聞こえる赤ちゃんの激しい泣き声に、
また胸がざわざわしてくるのを感じる。
どうしたものか・・・?


思い切って、昨日ようやく隣のチャイムを押すことができた。
たったこれだけのことだが、勇気がいる。
「いつでも困ったことがあったら遠慮なく言ってね」
「何か用事があるとき見させていただくわ〜」
赤ちゃんを見てあげたい気持ちのほうが強く、それで声をかけることができた。


チャイム越しに聞こえる母親の明るい応対に少し安心した。
とにかく密室での母親の孤立だけは防ぎたい。
気持ちが鬱屈してくると弱い赤ん坊にその矛先が向けられ、
虐待につながりかねない。


若いお母さんの心に風穴を少し開けてあげるだけで
ずいぶん、救われることもある。
お節介を承知で、気をもんでいるわたしである。