心に残る人


昨日ネットでの出会いについて記した。
インターネットでの人との係わりは文章から出発する。
相手がどんな人でどこに住み、どんな生き方をしてきたのか
だんだんと明らかになるが、文章はときにきれいに見え
現実との乖離が大きいこともある。
その原因は、こちらが勝手にイメージを作ってしまうからだ。


人と人が縁によって連なることは、それなりに通じあえるものが
ある場合であって、現実にはなかなか難しい。
だれでもOKというわけには、もちろんいかない。


わたしもこれまで仕事やサークルや趣味を通して様々な人と出会ってきた。
そしてその出会いは年数を経て続いているのもあれば
露のごとく消えたものもある。


自分の中での関心事が相手と一致したときに深く関わることが多いが
それは己の経年とともに、自分の生き方の姿勢に変化も生ずる。
わたしの場合多くは一度つきあいが始まると、ほとんど交際は長く続く。
喜びごとや、憂いや悩みや生き方に模索している自分を投影していたり
共感したりするときに友人の存在は深く心に残るからだ。


そしてお付き合いのなかで「心に残るひと」は
いつでも「本音で話す」人に限られる。
どこまで自分をさらけ出すことができ、
また相手の思いを受け止められるかということになる。
それにはお互いの信頼感が深くないとできないことになる。
嘘や虚飾などはいらない。


わたしのホームページで親しくなったひとにMがいる。
彼女とは掲示板でやり取りをしているうちにメールへと移行し
家族のことや仕事や趣味について話すようになった。
Mは自宅で精密でおしゃれなビーズ手芸をやっており作品展や販売もしていた。
わたしはフォーマルなブローチを依頼したのがきっかけで親しくなった。
骨太な感じだがどこか知的さの漂う人である。


彼女の掲示板に訪問するとそこには、「取り巻き」が大勢いて
ざっくばらんを通り越した男っぽいやり取りが交わされていた。
わたしはいつも圧倒されるようにその仲間にちょこんと入れてもらっていた。
東京の下町に暮らす彼女の生活がそこには如実に現れており
飾らないところも好きでいつか会ってみたいなぁと思っていた一人である。


そのMとあう機会ができたのは、わたしが出張で上京したときである。
5年ぐらい前になるだろうか。
新宿のPホテルに投宿しているわたしのところに彼女は訪ねて来てくれた。
写真もお互い交換しないまま、いきなり会った。


日ごろのメールや掲示板でのやり取りから、どんな女性が現れるのか
期待を膨らまし、ロビーで待っていると・・・


何とそこには・・・
まったくイメージしていないMがいたのだ。
目を見張る美しさ・・・
同性でありながら彼女に見ほれてしまうほどだった。
意外性・・・この言葉がぴったりのMの容姿。
モデルのように洗練された彼女のファッションにも驚いたが
オバサン臭くないその妖艶さにまず圧倒された。
ゆるめのウエーブした髪が揺れていてまぶしい。


わたしは嬉しくなった。
同性の素敵な人を見るのは好きだ。
わたしもそうありたいと願うし、きりりと姿勢が伸びるのを感じる。


Mとは夕食を一緒に摂り、あふれるほどの会話を交わした。
話すときはいつものざっくばらんな文章通りの彼女が現れ、ほっとした。


それ以来彼女とは会っていない。
ご子息が結婚し、落ち込みが激しかった彼女だがまた
いつもの元気さを取り戻し豪快な笑いとおしゃべりに興じていることだろう。
ネットではおもしろくて魅力的なひとと出会うことが多いが、
これもひとえに、善き天の配剤と思っている。