東京に住むご子息のところへ、ご機嫌うかがいに行ってきた知人。
「どうでした?東京での生活楽しかったですか?」訊くと
「いやぁ疲れましたわ〜」。
「それにえらい老けた感じがしていやになります」とJ子


彼女は、親子ともに認めるマザコンと愛息子?の間柄。
子息が結婚するまで一緒に旅行したり、ゴルフを教えてもらったり
買い物など夫と行くより息子の方が楽しくて嬉しいと、憚らない。


子息が結婚したときも、一時お嫁さんとの争奪戦か?と思うほど
ヨメと母親がひとりの男を挟んで、険悪状態にあるほどだったのだ。
しかしいつまでも息子の結婚生活や、嫁を疎んじても
仕方ないとあきらめつつ、息子が東京へ転勤したのちも
せっせと電話を欠かさない。


10年ほど前、J子がパソコンを習い始め、パソコン選びも
遠方に住む息子の助言をあおぐ。
教室へ通いだしてからの疑問点や、課題をこなしたことなど
詳細な報告をする。
エンジニアの息子は夜が遅いにも拘わらず
帰宅すると母親の電話に熱心に耳を傾ける。


それほどの親子関係のなかに孫ができた。
J子の関心がそちらにうつると思いきや
「やっぱり一番は息子よ!孫はそんなに可愛いと思えないの」と
はっきりのたまう。


盆正月など子息たちが帰省してくるとヨメさんそっちのけで
母と息子はふたりで出かけたりする。
幸いにもヨメの実家が夫のところと近いこともあり
彼女は気兼ねのない家に子どもとずっと滞在する。


2,3ヶ月に一度の割合で、息子に会いに上京しているJ子は
今回も1週間ほど滞在していたようだが
「いやぁわたし今度、自分の顔見てびっくりしたわ!」という。
息子のところに行っているあいだ、小学校にあがったばかりの
孫が怪我をしており、外に出られない。
だからずっと孫と部屋で遊んでいた。
そうすると顔が老けてきて「まさにお婆さんの顔になった!」と
感じたのだそうだ。
「おばぁちゃんばかりしていると、おばぁちゃんの顔になるのね!」
実感したのだそうである。
彼女の言葉は当たっているかもしれないと、わたしも思う。


フラワーアレンジをしている別の知人も、服装や髪型に敏感で
おしゃれなひとである。
その彼女がお正月などに写した家族写真をみて嘆く。
「目じりが下がって、しまりのない顔になっているのよ〜」
なるほど・・・


わたしも実はそのことを感じている。
たまにチビちゃんたちと出かけ
スナップ写真など撮ると、どこからみてもおばぁさん。
情けなくなるぐらい、緊張感のない顔をしていることに気づく。
背筋がしゃんとしていないし、きりっとした表情もない。


人間、役割によって顔の表情が変わるとはアレキシス・カレル
の『人間−この未知なるもの』のなかで記されている。
人間の適応能力とともに思いが顔に表れるとしており
その通りだなぁと認識する。


孫の前ではしまりのない表情であっても
一歩そこから離れるとひとりの人間、ひとりの女性の
顔でありたいと願うのは、この年齢では贅沢なのだろうか。


しかし、顔は正直だなぁとつくづく思う。



知人からの頂いた画像