「言わぬが花」

管政権になり、総理が危機に立っている。
もちろん原因は先の参院選に大敗したことにある。
選挙直前に消費税論議を打ち出したことと
その後の言い訳発言が自らの足をひっぱったことは周知の通りだ。
グラグラしている民主党のなかで、やはり気になることは
みなが「しゃべりすぎる」ということだ。


初めて政権を担って誰もが舞い上がり、マイクを向けられると
しゃべりだし、さらに嬉しいのか、リップサービスのつもりで付言をし、
そのしゃべりが墓穴を掘る。
消費税論に関しては、財務省にうまくのせられたのかとも
言われているが、しゃべり過ぎは足元を救う。


自民党政権のとき、しゃべりすぎや舌禍で退任に追い込まれたひとは
数多いたので、いまさら名前を挙げる必要はない。


『雄弁は銀、沈黙は金』 (Speech is silver, Silence is golden)
雄弁は大切であるが、沈黙すべき時やその効果を心得るのはさらに大事である。
これは沈黙を守るほうが、すぐれた弁舌よりも効果的であるとしている。
(英国の思想家・歴史家、トーマス・カーライル
「衣装哲学」に記述されている言葉)


沈黙の対極として民主主義社会には古来から、統治者には
「説明する義務」という概念がギリシャ時代から存在していた、と言われる。
このため、マスコミが言う「説明責任」の錦の御旗の下に
すべての情報開示が求められるような変な
今日の日本社会になってしまったけれど、どの程度の情報を与えるかが
そのひとの政治歴の判断になってくるようである。


そのよい例が小澤前幹事長であり、彼はそのことを
体験から知って沈黙を守り続けているように思えてならない。
一方で彼は、沈黙することで自らの価値があがることも
計算済みのようにも思える。
まさに(この表現は管総理が頻繫に使う)、小澤氏にとって、
「沈黙は武器」となっている。


「小澤前幹事長に会いたい」と管総理が周囲に漏らしたが、
なかなか応じてもらえず、途方にくれていることも傑作だ。


わたしたち普通人の日常生活で、己が面談したいことを、
他者にペラペラと話す習慣はない。
管総理も、水面下で根回し面談の確約を得たうえで口外すべきではないのか。
もしそうであっても、私なら事前の公表などは、決してしない。


「事は密を以って成り、語は泄(も)るるを以って敗れる」― 韓非子



ひまわり(ゴーギャン