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心の痛み


新シニア・ナビが発足して半年が経とうとしている。
新しく生まれ変わったナビのなかで少数ではあるけれど
わたしは気持ちの通じる、いい関係の友ができて嬉しく思っている。
メールのやり取りや、実際会ってランチを共にするなど親交を
温めているところである。


一方において、少なからず面識のあったメンバーの突然の退会に
どうして?という寂しい思いもある。
女性メンバーのなかには、いたずらメールに悩み、やむなく
シニア・ナビを去った方もいると聞き、驚いている。
幸いにして、わたしはそのような憂きめに遭っていないけれど
実際、遭遇された方には本当にお気の毒だと思う。


大人の良識あるコミュニティサイトだと安心はしているが
現実には、百戦錬磨の達人もいれば、わたしのような若輩もいて
当たり前だけれど、交流にはある程度の慎重さと節度が要る。


そうしたなか知っている方が突然、去った。
その方はメンバーの主だった人に
辞めることの挨拶をして去られたようである。


その理由はこちらに記さないが、他との考え方の違いがあり
それを容認し、受け入れることができないタイプのひとなのだろう。
あえて言えば潔癖すぎるぐらいの真摯さでいつも相手と
対峙していたように、わたしには感じられた。


いつも、相手のこころを大事にし、周到に向き合っていた。
どうしてそんなに、ムキになるほどの潔癖さを持ち合わせ
他と対峙されるのかと、疑問に思うぐらいだった。
その方の生き方のベースになっている「矜持」が
わかるような気がしたのは、最近である。


わたしのホームページに記してあるメールアドレスに
メールをくださったのだ。


かつて感銘を受けた著書を折りに触れて、HPのなかの日記に
記しており、そのなかの「トカビの夜」に心癒された、とある。


「トカビの夜」?どんな小説だったかなぁと、探し、読み直してみた。
2005年、朱川湊人という新人が直木賞を受賞したときの作品である。
トカビとは韓国語でお化けのようなものだという。
物語のなかで大阪の下町で暮らす韓国人一家が差別され
小さい子どもが病死したあと、トカビになって現れる。
日本人と韓国人の幼い子どもの交流を描いた物語で
切なくて泣けてくる。


その小説に感銘を受けたというそのひとは
人生を本当に一生懸命生きていて
人の心の痛みを数倍感じられるのだろう。


どの世界でも、どんなところでも考え方の違いはあり
それぞれが深く考え込まずにやり過ごしている。
そうしないと生きていけないように思うからだ。


人と交わるというのは、つくづく難しい。


願わくば、己をも、他をも、責めることなく、
さわやかにナビに復帰されることを望む。