読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

想像力

「最近笑えた話」として、塩野七生が文芸春秋11月号に
楽天とユニクロの社内英語についての記事を書いている。


「冗談でしょう」と彼女は一笑に付している一方で
この問題は言い出したほうも、賛否で応じたほうも、二つのこと、つまり
外国語漬けの日々を過ごしている日本人の精神状態と、
想像力が発揮されるのは、外国語の場合かそれとも母国語かと
いうことへの配慮が欠けているように思う、と言っている。


彼女はイタリアに半世紀以上住んでいて、その歳月のほとんどを
歴史書を読むのは外国語で、書くのは日本語という生活を送っている。
話し聴いたりするのは、たまに日本人と会うとき以外はイタリア語一色。
このような日々を過ごしているということは、言語というスイッチを
始終切り換えている状態であり、切り替えを誤ろうものなら
精神の破綻をきたす、という。


たまに日本に帰っても仕事ばかりなのだが、日本語の作業と日本食、
日本語での会話などが、頭と心に休養を与え、それが精神の破綻から
救ってきたと述べている。


人間の能力のなかでもあらゆる仕事にとって最も重要と思う
「想像力」が、外国語と母国語とで成された場合の違いについて・・・


想像力を自由に羽ばたかせたいと思えば、母国語にまさるものはない。
なぜなら外国語は、所詮よそいきの言葉で、それゆえ人間性の自然に
多少なりとも反するものだ。


「自然に反する」ことで言えば・・・
楽天でもユニクロでも日本人同士であろうと英語を使うと決めたということは
これくらい自然に反する、「無理を強いられる」決定もないのではないか。
食堂で食べるときの会話も、エレベーターのなかでのあいさつも英語。


こうなると両者の社員は、日本にいながら外国語漬けということになり、
精神科医の世話になりたくなければ、黙るという自己防衛策しかないと
いうことになる。


想像力にいたっては、羽ばたく前に落下するだろう。
この二社の社長殿には、ダポスの会議にでも出席して
この決定を外国の同僚たちの前で話すことを勧めたい。
日本では知られていても外国では無名の自分の会社を
外国でも知られた存在にしたいと思っての英語オンリーの
話しだから、その意味では成功するのは間違いない。
たとえ、失笑の渦につつまれて、であったとしても。


というふうに辛口で結んでいる。


さて、読まれたあなたはどう思うだろうか。