切ない話し

週のうち何日かは、自宅で仕事をしているせいで
散歩の時間が、午後3時をまわることがある。


今日も、秋の陽を背に受けて歩いた。
ぽかぽかと小春日和の日中は、気持ちがいい。


その散歩の帰り道、知人に会った。
友人M子の夫の実姉にあたる。
わたしはあることから彼女を存じ上げている。
知人は琵琶湖で開催されるウォーキングに参加するための
足慣らし、らしい。


そのご婦人と久しぶりに会い、つい立ち話をしてしまった。
けれど今日はなんとも切ない話しを聞いて、胸が痛い。


友人M子は、わたしの夫と同年に鬼籍に入っている。
彼女は肝臓がんがみつかり、発病2ヶ月で旅立った。


M子にはひとり娘がいた。
結婚して10年以上経ってようやく授かった子どもである。
M子の逝去のときまだ成人していなかったのではないだろうか。
肩を震わせて泣いている後ろ姿が、わたしの娘とだぶり
哀しみを深くしたことを覚えている。
その愛娘はM子亡きあと、すぐに結婚したようだ。


ひとりになったM子の夫はさぞ寂しかろうと近況を訊くと・・・
あろうことか、今うつ病を患い廃人のようになっている、
と言うではないか。
食事の支度はおろか、着るものさえ頓着しない。
あれほどの伊達男だったのに・・・と。


わたしも時々通勤車内で彼をみかけていて
長身のスーツ姿に見惚れていたものである。


6ヶ月ほど入院していたけれど退院してから人格が変わった、と
涙ながらに実弟の身を案じて語る。


その病気の原因が、娘夫婦との同居に起因するというから驚きである。


いったい何があったのか?
M子の夫は妻の逝去後、公務員を早期退職し、娘夫婦と一緒に暮らし始めた。
夫婦の仲が良くないこともあり、
そのうっぷん晴らしを娘が、父親にするのだそうである。


気の弱くなった父親は自分の家であるにも関わらず小さくなって暮らしていた。
娘たちの喧嘩がエスカレートし、ムコ殿の暴力が始まった。
あいだに入って気をもむうちに自分のからだに変調をきたし入院。


退院しても、一緒に暮らしたくない思いが強い。
娘夫婦と別居し安堵していると、ほどなく二人が別れた。
別れた娘は子どもを連れて実家に舞い戻ってきた。


その娘が・・・
父親に暴力を振るい、暴言を吐き
生活の一切を面倒みてもらいながら
もちろん感謝のことばなどなく、子どもや父親に
当り散らす毎日だという。


どうして?
なぜ、たった一人しかいない実の娘に暴力を振るわれるのか?


父親がそのことで病気になるほどの、ふたりを
あの世でM子は悲しんでいるに違いない、と話すと
生前から母娘のあいだに喧嘩が絶えなかった、というのである。


まさか・・・。
やっと授かった子どもだから溺愛はしても
娘に邪険に当たることなど、ないはず。


信じられない思いでいると事実、妊娠したことを知ると
M子は「欲しくない!子どもはきらいだ」と
生んだあとでも可愛がってはいなかった、と言うのだ。
確かに可愛いであろう、娘さんのことは
彼女の口にのぼることは少ないように感じては、いた。


静かに眠っているM子のマイナス面をそれ以上
聞きたくないこともあり、話をそらした。


けれど、それが事実ならば親のしてきたことが
いま、子どもにしっぺ返しされているように感じ
やり切れなさと哀しさが、胸を覆う。


親は、一生懸命子どもを育てたつもりでも、
愛情が届いていなかったのか。


「因果応報?」などという言葉がふっと浮かび、打ち消しながら
信じられない思いを抱き、帰路に着いた。
なんとも切ない話しである。


京都植物園の温室にて