手作り嗜好



高齢者の自立ということに関わらず「基本的には自分のことは自分でやる」
というのが、わたしの信条でもある。
なぜ、そのような思いが強いかというと、
実母を見てきたせいかも知れないと思う。


母は、同じ敷地のなかに長男夫婦と住んでいたけれど
たいがいのことは死ぬまで自分でやっていた。
特に食べることなど、自給自足のように野菜を自ら作り
味噌やチマキなど季節の手の込んだものまで、いとわず
時間をかけ、やってのけていた。
昔のひとには珍しくもないが、何でも自分で作っていた。
そして隣近所にふるまうのである。


都会のコンクリートに囲まれた生活と違い、田舎のひとの日常には
高齢になってもすることがたくさんある。
日課のように墓参し、花を入れ替えたり
庭掃除や草引きや、小さいながらも田畑の世話までしていると
いくら時間があっても足りない。


日常の買い物も歩いて近くのスーパーに出かけ
食材を自分で求め、料理する。
好きなモノを食べたいときに、食したいらしい。


80歳を越えたころも誰かが訪れると、手早くあり合わせの
食材で料理し、もてなしていた。
季節の野菜を使った漬物や、バラ寿司や煮込みうどんなど
好評であり、作ることや食べることや、それを肴に人と雑談を交わす。
そんなことが好きだったようである。
それが生き方の源になっていたのではないだろうか。


見えにくい目で編み物をしたり、本を読んだり、刺繍をしていた。
幾つになっても生活のなかに、潤いを求め愉しんでいたように思える。
花一輪、玄関や出窓に無造作に生けてあるのをみても、わかる。


あるとき、実家に帰ると茶の間の整理ダンスと食器棚の位置が変わっており
「ひとりで移動させた」と聞き、のけぞるほど驚いたこともある。


コツコツコツ・・・
父亡きあとも、傍に長男夫婦がいても、さほど頼るふうもなく
生活を、自分の口を、満たしていた。


先日お会いした80歳の彼女の生きかたが
母のそれとオーバーラップし、親近感を覚える。


手作り、手当て・・・と、言われるように
手を使うことは、生きることの根幹になるような気がする。


せっかちで大雑把なわたしが、年齢を重ね
食べることや、身の回りのことに「手作り」感覚を大切に
したいと思う根底には、母の影響がある。


平凡で無学な母だけれど、目に見えない大きな
財産を残してくれたと思っている。