母ごころ

先日の研修会で久しぶりに知人女性に会った。
東京生まれの東京育ち、結婚して夫の実家である、地方都市に在住。
画家の夫を持ち、自身は高校の美術教師をしている。


彼女の第一子が誕生し、2番目も男の子だったのよーと屈託なく話してから
20年近い年月を経ている。
その間、何回かは会う機会があったけれど
ゆっくり話したのは、久しぶりである。


「もう50代に突入しちゃったのよ」と
黒髪を掻き分け、長いスカートの裾を踏んづけんばかりに
ニコニコと話す彼女は、とてもそのような年齢には見えない。
少しだけ太り、あの頃の初々しいイメージは払拭されているけれど(ごめん)。


1番上の子息は普通に大学を卒業し、企業に就職。
「下の男の子のほうが、波乱万丈でねぇ」
「高校は中退するわ、警察のお世話に何度もなったりして・・・
裁判所にも足を運んだわ〜」
話の中身に反して話す彼女の表情は、そう暗くはない。


元教育者だった義父母との同居のなかで、
どんなにか肩身の狭い思いをしたことだろう。


誰しも子どもは健やかに成長して欲しいと、願う。
子どもの望む進路でつつがなく生きて欲しいと思う。
しかし、子は親の望んだように育ってくれないこともある。


義母は次男のことでストレスが溜まりウツを発症したほどだという。


夫婦のなかで、家族のなかで、子どもたちとの関係性において
たくさんの軋轢があったことだろう。


次男さんはようやく自分の手で高卒の資格を取り、
大検を目指しているけれどそれでも自宅にいることはなく、
遠いK市で彼女のところに転がり込んで、生活をしているという。


「もういいのよ何も言わない。ずいぶん回り道をしたけれど彼の人生だから
黙って見守ることにしたわ」
淡々と語る彼女のなかにはほっとした表情もあり
達観している強さも感じられた。


ひとは長い人生のなかで道草を食うこともある。
親をハラハラさせることもある。
でも次男さんは、まだ若い。


母親である彼女が、もちろん見捨てる風でもなく
彼の自主性を重んじ、信じ、見守っていることに
わたしは深く感銘した。


子どもは、それだけでもずいぶん救われるだろうと確信した。


生きていると、予期しないことに遭遇する。
良くも悪くも、それらを受け入れ、見守ってあげることこそ
最善の方策と思える。


きっと彼は、まわり道をした分だけ、たくましく
これからを乗り切っていくだろうと思える。
母は忍耐がいる。
母ごころは、寛容である。