言語技術

シニアナビのgeotechさんが、言葉の乱れを憂えておられる。
「させていただく」や「悩ましい」などの引用に首をひねっている。
まったく同感である。


おかしいと思う言葉や使い方には、枚挙に暇がない。
3月ごろの暖かい日のことを「小春日和のような」と
アナウンサーが堂々と言っているのも気にかかる。
「小春日和」は、正確には11月だけに使われる季語ではなかったか。
ポカポカ陽気にいつでも使える言葉ではない。


クマが出没して捉えられ、人間に危害を与えるというので殺された。
それについて「クマが亡くなりました」というテレビなどでの放送である。
「死ぬ」と言う言葉が忌み嫌われ「亡くなる」と言う
形容がされているのに疑問を感じる。
犬や猫などのペットに関しても「亡くなった」が使われている。


人間についてさえ同じようなことがいえる。
人の身内の死は、「亡くなった」という記し方は正確ではない。
ストレートに表現するときつく感じるからオブラートに包む。
間違った使われ方が、どんどん日常化し言葉の貧困に拍車をかける。

かくいうわたしも、言葉に関していい加減である。
表現・表記など少しも守っていない。
言葉は時代とともに変わるのかも知れないし
淘汰されることもある。


そのようことを憂えていると面白い記事を目にした。
少し長いけれど割愛と転載をさせていただく。
「人材教育」11月号に掲載された猪瀬氏のインタビューより。



日本人よ、世界を捉える言葉を取り戻せ」
石原慎太郎氏、猪瀬直樹氏と著名な作家陣が知事と副知事を務める東京都は、昨今の活字離れや言語力の低下を危機的状況と認識し2010年4月から「『言葉の力』を再生プロジェクト」を展開している。


人から「○○は好き?」と聞かれて「ビミョー」と答えるような、最近の若い人の会話について思うところはいろいろあるが、実は私には、活字離れや言語力の低下に関して、もう少し深いところでずっと考えていることがある。それは歴史認識の問題である。今の日本がこのような状況になっているのは、日本人が歴史的時間軸を持っていないことが大きな原因ではないかと思うのだヨーロッパには、キリストの磔刑を啓示としたことで生まれた1本の時間軸があり、「シェイクスピアは16世紀に生き、自分の人生は21世紀にあるんだ」というふうに、歴史の中での自分の位置付けが明確に捉えられる。


■敗戦で“全体の物語”を失った日本人

 ところが、昭和20年に日本は戦争に負け、国際軍事裁判で裁かれた。多くの国民が「戦争のせいで同胞が300万人も死んでしまったし、原爆も落とされた。なんてバカなことをしたのだろう」と悔いると同時に、それまでの日本の歴史をすべて否定してしまった。それにより、我々は“全体の中で自分を語る物語”を喪失したということだ。
 その後、食うや食わずの20年代、映画『ALWAYS三丁目の夕日』で描かれたような牧歌的な30年代を経て、日本は高度経済成長時代に突入。モノを消費するという行為には、その1つひとつに小さな物語がついてまわるので、その充足感みたいなもので、“全体の物語”のない世界でも特に問題なくやってこられた。


■世界や他者への興味から人は言語を獲得する

世界を捉える道具は何か? それは「言葉」に他ならない。


たとえば、1枚の絵を鑑賞するにも、それがどのような構成要素から成り立っているかを感性と同時に的確に捉えられないと、その絵の世界は語れない。
そしてその作業には「言語技術」が絶対に必要だ。だからこそ、ヨーロッパをはじめとして、常に世界を捉えようとしている国では言語技術が根づいている。


ところが日本の場合には、世界を語る必要がなくなったことで、言語技術を必要とする根拠もなくなり、その結果、多くの語彙を駆使しなくても、短いセンテンスで会話が成立するようになってしまった。


この状況を変えるため、私たちは何かしなければいけない。永田町は相変わらずいろんなことでもめているが、残念ながら言語力が低く、何をいっているのかさっぱりわからない政治家が少なくない。一方、言語力のない親たちは、自分自身のオブリゲーション(義務)を何も果たさずに、「あれは嫌だ」「これは嫌だ」というモンスター・ペアレントになっている。悲しいことに、国民の劣化のようなものは、確実に進んでいるようだ。


こうした劣化を“言葉の力”でもう一度改善したい。人間は言葉でものを考えているのだから、言葉をきちんと鍛えなければダメだ。


■言語技術を学び生きる力を回復せよ

なぜ本をたくさん読まなければいけないか? その理由を簡潔に述べるなら、本イコール他者だからだ。1冊の本を読むということは、2〜3時間かけて、他者が述べていることを我慢して聞くことと同じ。他者がわからないと人とコミュニケーションはとれないし、本を読まないまま大人になると、他者を抱え込むことができず、自分のことしかわからない人間になってしまう。


言語によって相手に意志を伝えるというのは、人間にとってごく基本的な生態である。それが壊れているので、まずは言語を訓練する。生きる力を回復するために「言語技術」を学ぼうということだ。
言語の基礎である言語技術の学習は、欧米では当たり前なのに、日本では教えていない。そこで、東京都では学校の先生などを対象に研修を始めた

ということで、このプロジェクトに大いに賛成である。