『男性の健康寿命はなぜ短い』−性差医療―

過日、小冊子(學士會会報2010-VI)に「男女の性(ジェンダー)の違いで
生ずる病の特徴」の講演要旨が記載されていた。


内容が非常に興味をそそるものだったので、それを紹介したい。
すべてが貴重で,割愛できず長文となっているが
また医学用語などもあるけれど、格段難しくはない。
シニア世代には有意義な資料だと思うので、
関心のある方は、ゆっくりと読んで欲しいと思う。


講演者は前千葉県衛生研究所所長、天野恵子医師(東大医昭和42年卒・医博)
天野氏は1999年にアメリカで進んでいた“性差医療”を
日本に初めて紹介し、それが契機となって『性差医療・日本医学会』が
2002年に設立に至る大役を為した医師。
その一方で2001年に日本で初めて“女性外来”(紹介状不要、初診30分)を
開設した医師である。



米国の同医学界(1995年設立)は女性が九割であるが、
日本の同医学界は男性医師が8割で女性医師は2割であったが
これが幸いとなった由。


その理由は性差医療の研究の中心は男性ホルモン(アンドロゲン)なので、
まさに“男性の医療”であり、今では女性ホルモン(エスロトゲン)を
もっと研究せねばならない状況にある。


要約すると・・・

70歳以前の男女では、死因・病気の罹り方に大きな差がある。

その理由は、
①染色体の違い②性ホルモンの働きや分泌の違い
③社会での期待される役割の違い、である。

それらの環境下での、
Ⓐ男性の寿命の短い原因は何か
Ⓑ健康診断では男女異なる基準の導入
Ⓒ閉経後の女性高脂血症患者に対する薬物は多くの場合は
不要であるなど・・・


寿命、死因、疾患に見られる性差
女性の平均余命は85.5歳で、男性は79.1歳(2007年)。
死因の第1位は癌である。


① 男性に多い死因。
交通事故などの不慮の事故・有害物資中毒死・自殺・慢性閉塞性肺疾患
肝硬変・心筋症・ガン・結核。
これらの死因による死者数は女性の2倍以上である。
動脈硬化を背景とする心筋梗塞脳卒中の死者は
60歳前の女性の2倍から3倍もある。
男性の癌による死者は60歳から65歳がピーク。


胆嚢癌を除く全ての癌による死亡数が男性の場合圧倒的多い。
女性の倍以上の男性が女性より10歳若く癌で死亡している。
癌の中で多いのが食道癌と肺癌であり、食道癌は
過去50年間に女性は全く増えてないが男性は喫煙が原因で増加している。
直腸癌と胃癌は女性の1.5倍。
腎臓癌・白血病・膀胱癌・肝癌・骨髄症も男性の方が多い。


②女性に多い死因。
女性に多い死因は、血管性および詳細不明の痴呆・
慢性リュウマチ性心疾患・筋骨格系および総合組織の疾患・
老衰つまり長命ゆえの死因である。
また近年増加しているのは乳癌である。
女性の癌による死者は70歳から75歳がピークである。


胆嚢癌(女性の方が胆石保有者が多い)と結腸癌は女性が多い。
肝硬変が女性に少ないのは、エストロゲン(女性ホルモン)が
肝臓を守もっているからである。
女性の死者が男性を凌ぐのは75歳を過ぎてからだが、
これは75歳以上の男性の生存絶対数が少ないから減ったように見えるだけだ。


③通院者率に明らかな性差がある疾患。
甲状腺の病気・自律神経失調症白内障・関節リュウマチ・
関節症・肩凝り症・骨粗鬆症などは圧倒的に女性に多い。
閉経後「あっちが痛い、こっちが悪い」と
言って通院して病気では死なず老衰で死ぬ。
男性に圧倒的に多いのが通風である。


  
健康診断の結果にも性差がある
千葉県で収集した健康診断のデータから、各項目の数値に
性差のあることが確認されたが『健康診断の結果を
男女同一の健康指標で診断することは間違えあること』
『男女の違いがなくなるのは75歳を越えてからである』ことが判明した。



① BMI(肥満度:Kg/m2)
男性は40歳代から50歳代にかけて最も太り以後ジワジワ痩せる。
一方女性がスリムなのは40歳までで、以後歳を取るほど太ってゆき、
70歳を越えると再び痩せてゆく。
BMI値に男女差が無くなるのは70歳を超えてからだ。
従って『BMI値25以上は肥満で18以下は痩せ』ということは、
単純に当てはまるものではない。


② 収縮期血圧値(mmHg)
日本高血圧学会は正常血圧より更に低い範囲を、収縮期血圧120未満、
拡張期血圧80未満を至適血圧(最も理想的血圧)としているが、
千葉県の40歳から50歳の収縮期血圧の男性平均は125であり、
女性は115前後で男性よりずっと低い。
収縮期血圧の血圧は70歳以降になって男女の違いがなくなる。
従って、性差を考慮した指標を設けるべきである。

③総コレステロール値(TC*mg/dl)
男性のTC値は40歳代から50歳代にかけてBMI値の高まりと
ともに上昇するが以後加齢とともに下がり、
女性のTC値は閉経後に高まり、以後男性より高い値を維持する。


④HDL(善玉)コレステロール値(mg/dl)
基準値は40であるが、男性は生涯55前後である。
女性は千葉県のデータでは、40歳前後では70近く
加齢とともに徐々に60近くまで下がり、生涯を通じ男性より高い値である。
最近はLDL(悪玉)コレステロール値そのものではなく
HDL値との比が問題であることが分かってきた。
女性は生涯HDL値が高いので、動脈硬化の進行から守られている。


⑤中性脂肪(mg/dl)
千葉県の男性(40歳代から50歳代)の平均が180なので、
現在のメタボ基準値150に引っ掛かってしまう。
中性脂肪値の動きも、70歳以降は男女とも一緒なので同一指標でいいが、
70歳未満では大きな性差があるので、同一基準での判定は間違っている。


⑥肝機能(ALT値: IUI)  
若い女性のALT平均値は15で同世代男性の半分の値であるが
50歳を超えると20に落ち着く。
一方男性は若い頃は130を越えるほど高いが徐々に減少して
25前後に落ち着く。
男女間の数値の性差があるのに共通の同一基準としているので、
女性の肝機能障害が見逃されている可能性がある。


⑦空腹時の血糖値  
どの年代も男性が高くなっている。



  

男性の健康寿命は本来もっと長い
健康診断の世代間変化によると、男性の40歳代・50歳代に危険が
集約されている。
この時期を乗り超えれば、女性の寿命より延びる可能性がある。
その理由は女性が閉経期に女性ホルモンが急に減少して骨が脆くなり、
血圧が上がるなどの不快な更年期障害が起こるのに対し、
男性は男性ホルモンが70歳代後半まで分泌され続け、
以後徐々に減少して90歳後半にほぼ無くなる。


また、男性は加齢に合わせて徐々に体調が変化していく。
(副腎皮質ホルモンの分泌に性差は少なく、
男女とも70歳代後半から落ちて90歳になると非常に少なくなる)
このように、性ホルモンの分泌状況を見る限り
本来男性の方が穏やかに長生きできるのだ。
では何故、男性の寿命が短いのか。


男性の寿命を短くしている三つの要因


1.事故や自殺。
2.癌。3.動脈硬化(心筋梗塞脳梗塞

女性ホルモンが動脈硬化の進展を抑制しているので、
閉経前の女性の脳梗塞心筋梗塞で倒れることは、女性にはまずない。
一方男性は20歳代から脳梗塞心筋梗塞が始まる。
心筋梗塞を原因とする男女の死亡率は65歳未満で5倍の差があり、
70歳代・80歳代になるにつれて、ようやく性差はなくなる。
では男性は何に気を付ければ死因の性差を縮められるのか。 


① 男性の急性心筋梗塞の原因は、高血圧・喫煙・糖尿病・
家族歴・高脂血症・肥満である。
このうち自己管理できるものは、『血圧、禁煙、糖尿病』でる。
ちなみに女性の心筋梗塞の危険因子は禁煙、次が糖尿病である。
(女性の糖尿病患者の心筋梗塞に罹患する確立は非糖尿病男性の3倍である)


② 次に心筋梗塞の危険因子として、高脂血症(高コレステロール血症)を
 考えてみる。  日本人のTC値と疾病ごとの死亡率についての調査結果は下記のとおり。

TC値(総コレステロール値)が高すぎると、心筋梗塞の可能性大(男性のみ)
男性はTC値が高いほど心筋梗塞での死亡率が高まる。
但しNIPPON DATA80の成績でもTC値が240までは死亡の危険性は高くない。


女性の場合、TC値が260以上では有意なリスクの上昇を認めるが
160未満から260までは心筋梗塞の死亡に繋がらない。
注:NIPPON DATA.とは。
1980年に厚生省が実施した「第三次循環器疾患基礎調査」で
1999年改めて追跡調査した初の長期追跡調査(19年間で追跡率91%)である。1990年から第四次調査も現在進行中である。


TC値が低すぎると、癌の可能性大。 男女問わず、TC値が低いほど癌での死亡率が高まる。
循環器の医師は心筋梗塞を恐れるあまり
「TC値を下げれば下げるほどいい」と言うが、
癌専門の医師はTC値を下げ過ぎることに決して賛成しません。


TC値が高い患者にスタチン剤を投与し人為的に値を下げた追跡調査によると、
薬で値を180未満まで下げた患者の場合、癌による死者が逆に増加し、
一方薬でも値が下がらず280以上のままの患者の場合、
心筋梗塞による突然死が増えた。


こうしたデータを見ても、死因第1位が癌である日本においては
薬でコレステロール値を下げ過ぎることに検討の余地がある。


TC値が低いと、脳卒中の可能性大。  「TC値が高いと脳梗塞になる」と医師は言うが、
日本ではTC値が低い人が脳卒中で死亡する率が高い。
これは女性の場合は顕著である。
  
なぜか。
欧米人の脳卒中は脂肪の塊が比較的太い血管にできる
“アテローム型”が多いのでコレステロールの上昇が脳卒中に繋がる。
然し日本人の脳卒中は“高血圧性最小動脈病変”というが
脳の深い部分にある動脈に血栓や塞栓が詰まる“ラクナ型”
多くこの場合は高血圧が一番の危険因子である。


欧米に比べ日本人では、脳出血が脳卒中の原因となっている割合が
高いことを考慮すると、「TC値が低いとことによる血管壁の脆弱性に起因する」脳卒中であると判断される。


基準値として相応しい値。  
上記は「TC値が高すぎると心筋梗塞での死者や突然死が増え、
低すぎると脳卒中と癌が増加する」というもの。
色々な疫学データーからみると、TC値200-260であれば
リスクは少ないということ。


日本では長らくTC値220を基準値とし、それより高いと
『高脂血症』としたが、最近はTC値で判断するのを止め、
HDL値=善玉コレステロール値(基準値40)と
LDL値=悪玉コレステロール値(基準値140 )と
中性脂肪値(基準値150)で判断するようになった。
然し中性脂肪値150には多くの日本人男性は引っかってしまう。
この数値は米国の基準をそのまま流用しているに過ぎず、
日本人の実態を反映していない。

 
以上

   
 
  
  
予想した以上の長文になったので掲載を躊躇した。
しかしこの少冊子は書店で販売されていないし、
目にふれる機会が少ない。
ブログを訪れてくださる方の健康生活の一助になればとの
強い思いから掲載することにした。


なお天野恵子医師の講演の記述された學士會会報からの
転記に際しては、誤りがないよう(数値は特に)注意した。


この作業中に感じたことを、最後にあえて記すと・・・
1.健康診断の結果を医師から「異常なし」と告げられても、
  それを鵜呑みにしない。
2.日本の医療は男女に関係なく同一のアンダー・ウェアーの
  着用を強要されているように、感じている。


  長文にお付き合いいただき、感謝します。