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就職難とは、何ですか


就職難、就職難が耳や目に飛び込んでくる。
でも厳しい就職難は昔から、あった。

数年前から、またこの数ヶ月間、各種報道陣が
大学新卒・既卒や高卒などの厳しい就職戦線を日々伝えている。
該当する息女の両親や肉親の心情を思うといたたまれない気持ちになる。


この就職難は日本だけではなく、経済大国とやらの中国でも
大卒者には深刻な状態であるらしい。
この国も改革解放後に多くの大学が新設され、大卒者ラッシュである。
それだけではなく、NHK衛星ニュースや新聞によると
米国では失業率が10%を超えているとか、
英国、スペインなども失業者が多いと伝えて、
2008年に発生したリーマン・ショックの後遺症が未だあるのだ。


こうしたなか、日本の「就職難」についてちょっと考え込んでいる。
新卒者にとって、これはは本当に就職難なのだろうか。
確かにハロー・ワーク(新卒者向けではない)には
多くの来訪者がいるが、本当に仕事が無いのだろうか。
20日朝のNHK(関西地区)は“失業者の86%は
自己都合退職である”と伝え、すぐさま“これは雇用主が
そのように仕向けている”とNPO法人の「不当」コメントを追加して伝える。


確かに、多数の企業が海外へ転出し、
不況による人員削減がある。
新卒の就職難実態は本当なのだろうか。
門外漢の私にはこの問題について素朴な疑問があり、二つの異見がある。



ひとつは、私の年長の知人が上司のことについて語ったことである。

知人の上司は旧制三校(京都にあった第三高等学校)を卒業した。
その上司には6年浪人して入学してきた同級生もいたとのこと。
ことほど左様に旧制高校、しかも上位校に入学するのは
難しかったらしいのだ。
新学校制度(昭和22年公布)までは旧制高校に入学すれば、
学科を選ばなければ卒業生全員が帝国大学
入学できる仕組みであったらしいのだが、
当時といえども頭脳明晰でなければ旧制高校には入学できなかったという。
更に奨学金制度の無い時代では、経済的基盤がなければ
絶対に就学は不可能だったはずである、ということ。


わたしは、そこには頭脳と経済という大きな競争と壁があった事実を思う。

その上司は東京帝国大学の理学部(数学科)に入学し、
後に工学部に転科して昭和20年9月
(この年は3月ではなかったらしい)に卒業した。
しかし就職先はない。
あちこち人に頼んだり探したあげく同年冬に、
ある会社に“工員”としてヤット職を得た。
敗戦の年の混乱時とはいえ天下の東京帝大を卒業しても
希望する職種では職は得られなかったというのだ。


両親や世間に甘えることは許されないという自覚のもとで、
まず働き口を得ることが必須事項として上司は工員職に就いた。
上司は職場環境が悪かった仕事場での1年余の作業で
受けた傷害(今で言う労働災害であるが当時はそうした概念はなかった)で
生涯、左耳の難聴に苦しめられることになった。


このことを語る知人も同じ思いであり、
学業を終えれば職種に拘わらず職を得ること、
同時に社会保険に加入すること、希望職種は二の次であったと語っている。
まず自立し、そこで次の発展を目指すべきとした。


これはわたし自身にも同様であったし、時代が変わっても
私の息子と娘に対しても同じ考えで就職をさせた。


敗戦後の混乱時ではない今日、優秀な学生は短期間で就職が決まり、
“学ばず”、単に“歴”を追った学生には厳しい門が
待ち構えているではないだろうか、と密かにわたしは思っている。
(“歴”を求めて“学”は得ない事項は1月17日付けブログに記している)



二つ目には、どんな時代にもどのような場合にも、
常に競争があるのがこの世なのだということ。

戦後、多くの大学や短大などが新設され、昨今は需要を見込んで
医療・薬学系、教育系などの学校や学部が増加している。
その一方では人口の減少にともない大学は淘汰の時代を迎えて、
学生には入学が安易になったといわれているが、本当にそうなのだろうか。
決してそうではないと思っている。


共通一次試験世代の息女がセンター試験を受ける今
医師の親に対して、塾の教育指導は「あなたの時代の勉強では医学部には入学できない」と(日経ビジネス)ハッパをかけている。
医学部に限らず上位志望校には、かつて無い大競争があるようで、
そこで学んだ学生には多くのお呼びが掛かっているのではないかと思える。


進学と就職には、明治から終戦までの時代には
前述のような競争があったと聞くが
今日ではそれを凌ぐ大競争が行われている。
いつの世も、自らを磨き、ひたすら努力をすることが第一に求められるのだ。


それにも拘わらず、「勤務地が、仕事の内容が、勤務時間が....」などと
選んでばかりいて、わがままが先に立っているように
感じられるのは、わたしだけだろうか。


バブルの時代といえども狭き門の就職には競争があったと想像する。
今日、世界企業のPANASONIC、 ホンダ、SONYなども初めから大企業ではなく、
零細企業からスタートしたのであり、それらに就職した人々が苦闘をし、
年月を経て今日の優良企業に育ったのだ。


冒頭に書いた昨今の就職のニュースは、マスコミが世間知らずなのか
(彼らは就職の勝者なのでしょう)、
時代に恵まれた環境に育った親が、甘えて子を育てた結果なのか、
それとも、私が世間知らずで誤っているのだろうか。
首をかしげている。



プリンセス・ミチコというバラです。