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本音で生きよう

感動・社会事象

無縁社会のなかで
――― トイレでランチをする若者に潜む孤独 ――――


地域はもちろん、家庭においてすら人間関係が希薄化していると
言われるいま、わたしたちはどのように人と縁を結び
思いやりあふれる社会を築いていけるのだろうか。
この提言のなかで精神科医の和田秀樹氏の近著と講演に触れる記事を読んだ。


『なぜ若者はトイレで「ひとりランチ」をするのか』という本を昨年、氏は出した。


今の若者がトイレで昼ごはんを食べるという記事に
触発され、書いたものらしい。
現在の教育の問題点や若者たちの心理、パーソナリティの
変化などを追及し続けてきて、この「便所飯」の話を聞いたとき
「ついにここまできたか」と強い印象を持ち
1冊の本を作ることになったのだという。



氏は、この便所飯という現象を
「若者がランチぐらいは誰にも邪魔されない個室で食べたい」という
孤独の場を求めてのものではなく、一人でランチを食べる奴、
「つまり友達のいない人間と思われたくない」から
生じているということを問題にしている。


これに関しては若者の心理の問題よりも教育の問題を重視している。
現代の学校教育の中で一つの大きなトレンドとなっていることに
「子どもを傷つけない」ということがあるようである。


例えばテストの成績を張り出すなどということは
3年ぐらい前からほとんどなくなった。
出来ない子どもを傷つけることになるからだ。
90年代からは運動会でも順位をはっきりさせない方向になってきた。
スポーツができない子どもを傷つけないためだ。
さらに学芸会で主役を決めないとか
学級委員を選ばないとか・・・。


しかしどんなに序列を作らないように学校側が留意しても
子どもたちの間では序列ができてしまう。
友だちの多い子どもほど、いい子、序列が上の子という
価値観が広まっていく。
教師もふだん仲良く!と言っている手前、是認するしかない。


結果的に子どもたちは、表面的でもいいから、友だちの多い子どもに
なりたがるし、何より仲間はずれを恐れるようになったという。


その心性が中学、高校と引き継がれ、大学、社会人になると
食事は自由席になる。
そこでは、一人でランチをするということは仲間はずれを意味し
その姿が恥ずかしいために、「トイレでランチをする」と
いうことになるらしいのだ。
友だちの数を重視する世界では、一人の深い親友より、広く浅くの
つきあいが重視される。
本音を言ってみんなの輪から外されるのは脅威だという。


本音が出せない、本心の自分を分かってくれる人がいないというのが
表面的に仲間が多くても、孤独な若者が多いことの真相だろう。
表面的な仲間が少ない人間は更なる不安や孤独感の中で生きている。
これを打開するにはどうしたらいいのだろうか、と氏は訴える。


家族や周囲の人間も、もっと本音で語り合えるようにしたい。


友だちが少ないことは、恥ずかしいことではない。
家族や親友は最後まで味方だと伝えていく。
人の悪口や愚痴でもいい。
外では言えないが人間には本音というものがあるということを
教えるだけでも多くの人の心が軽くなるはずだと、結んでいる。


このような若者世代の感じ方は、大人の生き方の投影ではないかと
わたしは思っている。
世の中すべて平等ではないということ、
競争があるということ、みんなと違っていいんだということなど
折に触れ、親や教師が子どもに教えることが大事だ。
挫折や困難なことがあっても当たり前だということ。
あまりにも子どもを脆弱な者として扱った結果ではないのか。

社会全体の、教育のしくみを、変えることは至難であるけれど
今からでも遅くはない。
自分自身をさらけ出すことができる本当の人間関係を築くために、
本音でモノが言える家族、友人としての関わりを
持ちたいと思い、そして願う。