おめでとうございます〜

今年還暦を迎えたわたしは昨日、某所で開かれた「節分会」に招かれた。
姑健在のころから細々と縁をつないでいるところである。


会場に着くと赤いリボンをつけられ、いたるところで
「おめでとうございます〜」の言葉をかけられる。
「ひゃぁ、どうしておめでたいの?」
心で思いながら、眩しくこそばゆくて
他人ごとみたいに思ってしまうわたしがいた。
「ううーむ。還暦か・・・」
どう考えてもピンと来ない。
「若いですねぇ」などと言われ、まわりを見渡すと本当に皆も若々しい。
そして照れている。


今年一年の厄払いなども祈願するセレモニーであるが
早朝の時間帯にも拘わらずたくさんの人で賑わっていた。


節分会は、もともと宮中の追難という儀式にのっとっており
心の邪気を追い払い、また仏教などでは六根清浄(ろっこんしょうじょう)を
磨くということにも着眼されているらしい。



ちなみに六根清浄とは
人間に具わった六根を清らかにすることといい
六根とは、五感と、それに加え第六感とも言える意識の根幹であり
眼根(視覚)・耳根(聴覚)・鼻根(嗅覚)・身根(触覚)・意根(意識)を意味し、それが我欲などの執着にまみれていては、正しい道(八正道)を往くことはかなわない。
そのため執着を断ち、魂を清らかな状態にすることを言う。
そのため不浄なものを見ない、聞かない、嗅がない、味わわない、触れない、感じないために俗世との接触を絶つことが行なわれた(山ごもりなど)。
とある。
ウィキペディアから



60歳の節目に際し、大した病気もしないでこの年齢まで
つつがなく生きてこられたことを有り難く思い
亡き両親に対しても感謝の念が強くなる。


子曰、六十而耳順。(六十にして耳順う)
論語・為政編』の中で孔子がその生涯を振り返って言った言葉で
人は六十歳になるとさまざまな言を聞いても、
抵抗感も驚きもなく聴く心の余裕が生まれる、とある。
そういうものなのだろうか。


『若い頃に旺盛であった記憶力は、齢を重ねるにつれて衰えるが、
その代わり、天は人に判断力という「知恵」を授けてくださるものだ、
人間はよく創られている』と、人生の先輩である宿ハチさんは言う。
そうあって欲しいと願い、おめでとうの言葉をしっかり胸に刻んだ。



おみやげにお赤飯をいただいた。