おもてなしの心

退職してもうすぐ2年になる。
職を辞したあと心身ともに、疲労困憊状態にあったわたしは、
しばらく、ひきこもり状態を貪っていた。
予定を入れることや、人に会うことに
息がつまりそうな感じを持っていた。
どちらかというと社交的で人と接することが
好きなわたしにしては、珍しい。


今でも多少の「外出拒否症候群」は残っており
たまに出かけるとひどく疲れを覚える。
しかし時どきは、知人・友人の誘いを受け
会話を弾ませることも少しずつ増えては来ている。
人と接することは、やっぱり好きなのかも知れない。


わが実家も、婚家先も人の出入りの多い家だった。
来客の多い家は繁栄するという古い言い伝えに肯定的な
実母と義母には共通点が多い。
話し好きで面倒見の良い二人は来客があると、
お昼どきなら、あり合わせのもので手早く昼食を作り
もてなすことを常としていることもそのひとつである。
そんななかで育ち、結婚して慣習化されたわたしも
同じように、そんなもてなしを負担には感じていなかった。


子育て真っ最中のころ、似たような世代の知人たちと(今で言うママ友)
ワイワイ言いながらどこかの家で昼食を愉しむこともあった。
しかしそれは、いつのころからか、
喫茶店やレストランなどに移行している。


育児から開放され、主婦が外に目を向け
働き始めたころではないだろうか。
わが家で人をもてなすことをしなくなって幾数年。
人を招くことに気持ちの負担を感じ始めたのだ。
部屋を片付けたり茶菓の用意することも、
そのエネルギーを他のことに費やしたく
外へ外へと気持ちは向いていた。


実際、今でもわたしはホテルのロビーやラウンジなどが好きである。
シックな落ち着いたたたずまいのレストランも緊張感があり、好む。
食事の内容もさることながら、雰囲気が非日常性を感じさせるからである。


けれど最近、家にいることを良しとしているわたしは
わが家でもてなすことを復活させている。
おしゃれな喫茶店やレストランもいいけれどわが家での
おもてなしもいいかなぁと思うようになっている。


対価に見合う、おいしい紅茶やコーヒーを呑めるところが
少なくなってきていることと、何と言っても自宅は落ち着くと
感じるようになったせいである。


お気に入りの音楽をかけ、花を愛で、周りを気にすることなく
おしゃべりに興じられるのがいい。
そんな気持ちに沿うように、同じような考え方をしている
知人・友人が最近、わがやを訪れることが少なくない。
人を招くと部屋がどんどんきれいになる副産物も見逃せない。


訪れてくれる友への一番のごちそうは、居心地の良い空間であったり
相手のこころに真剣に耳を傾ける会話かも知れない。
こだわりの紅茶や、ささやかな昼食も最高の
おもてなしであるかも知れないと思ったりしている。


仕事を辞めて何が一番しあわせかと問われば
やはり「時間の贅沢」だと言える。
ゆったりとした余裕は、飴玉のように心を溶かしていく。