あざなえる縄の如し

「主人のおかげで助かっているのよ〜」
彼女の弾んだ声が返ってきた。
良かった!
明るい彼女の話し方に安堵しているわたしがいる。


久しぶりに知人と電話で長話しをした。
1年以上の無沙汰である。


彼女の夫君がリタイア生活をするようになってから、何年経つだろうか。
大手の商社勤務だった夫殿は58歳で、あっさり早期退職をした。
やり手の彼にはヘッドハンティングもあり
次の仕事に意欲を燃やしていたからだ。


ところがいかなる事情があったのか、それはあえなく破算。
夫君は熟慮の末、「もう仕事はしない」ことを決断した。
よほどの思いがあったのだろうことは想像に難くない。


妻である知人の驚きと嘆きは、傍目からも見ても同情に値するほどだった。


バリバリの仕事人間の夫が、あっさり家に引きこもるなど
考えてもみなかったのだ。
年金生活に入るまでには、まだ遠い。
これからの生活のことなど考えると
夜も眠れないほど彼女を悩ます。


知人の夫君は東京生まれの東京育ち。
仕事で関西に来てからずっと大阪暮らし。
定年後は、妻の故郷である大阪にしっかり根をはやし
仕事はそれなりに続けるつもりでいたようだ。


ところが前述のように定年を待たずして、退職。


あと何をするかと言えば、いきなり未経験分野の
「野菜つくりをやる!」と宣言し、また妻を仰天させた。
都会育ちの彼がそんなことに興味を持ち、やりたいなどと
妻にしてみれば「寝耳に水」で賛成できかねる。


世の夫族のようにせめて60歳半ばぐらいまでは
仕事を続けて欲しいと願っていた。


かくして妻の思惑をよそに夫君は、知人から
畑地を借り受け、せっせと農業にいそしむ生活となった。
毎朝、決まった時間にお弁当持参で「出勤」するのだそうである。
そして夕方4時過ぎまで畑仕事をやり、終わると定時に自宅に戻る。


妻は予想外の展開にすっかり気落ちして、人が変わったように
暗い性格になっていった。
いつ電話してもかつての弾んだ声が聞こえない。
現実を受け入れられないようだった。


彼女の子どもたちは結婚して別に暮らしているが
父親の行動を理解しており、母親をなだめる始末である。


なんだかんだ言っても、もうことは始まっている。
観念して、以前から親しんでいる「韓国語」や「絵手紙」に
いっそう没頭し、自らを愉しませることで
夫のそれを受け入れようと努力した。


そうしているうちに彼女の父君が他界し、母君が病に伏した。
看護と介護が必要になってきたのである。
少し認知症状の出てきた母君を神戸から自宅近くの施設に移し
車で片道30分かかる距離に彼女は、毎日通っている。


疲労困憊で夕方帰宅すると、うれしいことに
退職した夫が夕食の支度をして待ってくれるようになった。
外食キライの夫君は、自分で育てた新鮮野菜で
酒の肴まで、まめに作るのだそうである。
「夫のおかげでゆっくり母を見ることができる」と
感謝の念が深い。


夫君がずっと仕事をしていれば、そんなこと叶わず・・・
「まったく何が幸いするか、わからないわ」と彼女。


生きていくことは、予期せぬことの遭遇の連続である。
このことは度々、ブログのなかで触れている。
人生はあざなえる縄の如し・・・
まったく禍福というのは予測できないものである。
何が起きても、あわてず騒がず、順応したい。