『足るを知る』

日課にしている朝の散歩は、その日によって時間が違う。
早朝といえど、6時を過ぎるともう日が照っており暑い。
朝のテレビ体操を済ませてから行くと、カンカン照りの様相だ。


気が向けば、起き抜けにそのまま歩き出すこともある。
4時過ぎだったり5時を廻っていたりという気まぐれだ。


毎日、川べりを歩く。
水かさの増えた川面は、このところの快晴ですっかり水量が減り
流れが停まったように淀んでいる。
それでも川からの涼風が頬に心地よい。


草いきれもいいなぁ。
この匂いが好きだ。
子どものころの川泳ぎを思い出す。
大人の監視なしで近所の遊び友達だけで川で泳ぐという発想。
今の子どもたちには考えられないだろう。


道端のピンクや白のキョウチクトウが、ひときわ目を惹く。
きりりと背の高いそれは葉っぱを空に向け、こちらを見おろしている。
雑木林の入口のオレンジのノウゼンカズラが毎年顔を見せる。
うす桃色のハマナスも同じところで雑草に混じり、自己主張している。
「忘れていませんよ、ハマナスどの」


昨年までデジカメ持参の散歩だったが、このあたりの散歩は
もう、持ち歩かないことにしている。
花をしっかり愛で、観察するようになった。
触れる、匂いを嗅ぐ、花に心ゆくまで話しかける。
植物の持つ、たくましさや奥ゆかしさをたっぷり味わう。


足元に目をやると小さい蛇の死骸がある。
道路に出て車に轢かれたのだろう。
その蛇ちゃんの隣に赤ん坊だろうか、もっと小さい蛇が
同じようにぺしゃんこになっているのを見つけた。
この親子の蛇は一緒に移動中だったのだろう。
胸が痛む。
丸々と太ったミミズも踏まれた跡があり、干からびている。


人間も生きていくのに難しい時代だが、小動物も同じように
生きにくさを感じているかも知れない。


歩きながら、いろんなことを考える。
散歩は思索するのにちょうどいい。


一番感じることは、平凡な日常への感謝である
たくさんの憂えることをバタバタと通過させてきた身には
いまのこの安寧ともいえる日々が、特にありがたい。
欲を言えばきりがない。


雨露をしのげるほどの住む処があり
飢え死にしない程度の生活ができれば、それでいい。


日常の無駄を省き工夫を重ねる生活もそれなりに愉しい。
いま、節電やエコ生活が声高に叫ばれているけれど
電力不足に関係なしに自らの生活のありかたを見直したい。


『小欲知足』の精神が、心豊かに生きられるコツではないかと思える。
小さな花や動物に教えられた。



昨年描いたもの、また登場してもらおう。