離婚成立と思いきや・・・

K子の夫は、今年の9月に60歳の定年を迎える。


定年まで離婚を待ってくれと言われていたK子は
ようやくそれが実現しそうで
気持ちに整理がつく、と安堵していた。


別居生活の8年間、娘の結婚式に一度会って以来、夫とは
電話もしなければもちろん会うこともなかった。


必要なことは、娘や息子があいだに入り疎通を助けてくれた。
娘たちは、母親の別居や離婚に際し賛成の意を唱えている。
母親の精神的苦痛を和らげるため、一日も早く自由にさせたらと
父親に進言する始末である。


9月までに半年を切ったころ
いよいよK子は、離婚に向けての調整にかかる。
夫の退職金のこと、分割年金のこと、一緒に住んでいた家屋の売却後の
配分について、細かく調べ内容証明として送付した。
あらゆる限りの妻の権利を駆使したものと思われる。


それに対し夫からは、9月に退職してもすぐに分配はできない。
11月まで送金は見合わせて欲しい旨の返信までこぎつけた。


長い離婚への道のりである。


夫の査定した額に不足はあるものの、K子は受け入れることにした。
もうこれ以上のごたごたは疲れるばかりだし、早くすっきりしたい。
ようやく決着がついた!


待ち望んだ離婚が成立する・・・
もうそれでよい。


これまでの、夫に対する恨みや精神的犠牲は忘れよう。
そう決め、9月が訪れるのを待っていた。


夫のほうは妻が家を出て以来、どんな暮らしをしていたのか知る由もない。
相変わらずロボットのように自分のことだけを考えて
生きているのだろうと考えていた。


また夫の生命保険の受け取り人は、既に実妹の名義に変えてあった。
ふたりの子どものどちらか、ではなく妹である。
夫の、子どもたちに寄せる情も薄いものを感じる。


娘も息子も父親のそんな姿に見切りをつけていて
母親の離婚の成立を待っていた。


そうした折りの晴天の霹靂とは・・・
なんと、夫が急逝した!のだ。


定年前4ヶ月前のことである。
まったく誰にも予期しない出来事だった!!


夫の突然の死は悲しみより、夫への、子どもたちへの
すさまじい禍根を残す結果となった。


続く