謙虚さと感謝と

わたしの周りには寡婦になった人が多い。
それぞれ違った境遇で現実を受け入れ、今を生きている。


昨年そのひとり、Mのことに触れた。
彼女の場合は夫が亡くなる数年前に家を建てたばかりだった。
豪邸の域である。


普通は名義人が亡くなるとローン返済は保険で相殺される。
ところが何の因果か、それは妻の知らないところで解約されており
6千万円近い残債がそっくり妻にかかってきたのだ。
おまけに生命保険にも入っていない。


妻は亡き夫に恨み言を言い、仏壇に手を合わせることも
したくないほど、しばらく怒りが収まらなかった。


しかしありがたいことにお金はないけれど稼ぐ手段としての
事業を残してくれた。
その事業を引き継ぎ生計を維持し毎月、家のローンだけでも
20数万円を払ってきた。
並みの男性でもプレッシャーのかかる金額である。


娘が結婚するにあたり一緒に住んでくれることを望んだが
それも叶わず、ひとり大きい屋敷に残される結果となった。
5年ほどそんな生活を続けていたが、時勢により事業の収益が
落ち込み、維持が難しくなった。


昨年から家を手放すことを決心し、公営の住宅を捜していた。
最近ようやく家が売却され、新居に移った。
彼女いわく・・・
「毎月のローンから開放されて、借家で、もう充分!」と
それまで住んでいた自宅とはかけ離れた公営住宅
移り、安堵の日々を送っている。


もうひとりのSは、K子と同じく長いあいだ別居生活をしていた。
そしていよいよ、双方が離婚を同意し書類に捺印し
1週間後に会い、提出する段取りになっていた。


ところが・・・
その提出間際の夫の急逝である。


K子の場合と似ているのは
同じように親戚一同から罵倒された。
そして彼女は葬儀にも参列させてもらえなかった。
ひとり車のなかで手を合わせて帰ったという。


Sもまた夫が現役だったため、退職金などすべて正当な妻の
立場で相続できた。
保険金は長いあいだの別居で息子に寂しい思いをさせたから
息子に全額渡した、ということである。
生前、憎しみあってきたSもいまは毎日
亡き夫に感謝しながら手を合わせている。


それぞれ、生きて来た軌跡は違う。
残された者が心の平安を保ち、しあわせに
暮らすには、やはり現実をありのまま受け入れ
「今あること」に感謝することではないかと思える。


足りないことを不足に思うのではなく、足ることを知る。
このことが後々の人生の豊かさにつながるのではないかと思うのだ。


「夫のおかげで・・・」と
MもSも、いまの安泰な生活に感謝し、謙虚さを持って生きている。


K子もまだ心の動揺は続くだろうが
「夫の仕返し」ではなく「夫が守ってくれている」と
いうふうに、発想の転換をすると気持ちが楽に
なるのではないだろうか。


いかなる状況下にあっても「ありがたい」と思っていると
そのような気持ちになれると言う。
笑顔と感謝と謙虚さで、生きていけると心の平安が保てる。


そのように生きたいと、わたしも願う。