K子のエピローグⅡ

「この声音を聞いたらわかるでしょう〜〜?」
「子どもたちと和解したのよ!!」
K子が弾んだ電話を突然してきたのは、つい2日前のことである。


この春、娘と結婚したムコは娘より8歳年下で、K子に言わせると、
いつも娘の尻に敷かれている存在で頼りないムコと感じていた。


ザックバランで温かい家庭環境に育ったムコがきっぱり言ってのけたのだ。
「ボクはたーちゃん(義弟)に同調するより、お義母さんとの関係を選ぶ!」
妻(娘)と義弟(息子)が結託して、母に非難の矢を立てているのを辛く
感じていたのだった。
このひと言で、娘の気持ちが和らぎ、夫婦とK子が夜を徹して話し合った。
結局、娘との確執を解消してくれたのは他ならぬ娘ムコであった。


K子も、娘にきっぱり言った。
「これから神戸の実家(夫の)がいろいろ言ってきても、
わたしに逐一話をして頂だい」
「わたしが受けて立つので。裁判になろうと何んになろうと悔いはないから」と。


100%わだかまりがなくなったわけではないが、娘が一歩譲り、
K子もまた自身の主張を
曲げることなく仲直りに進んだのである。
ムコに助けられた、という感じであるが何より
娘と共有してきた時間が心の萎える争いごとを絶ってくれたのだ。
やはり血は水より濃いのか、
「残された者が助け合っていこう!」ということになったようだ。


聞き手のわたしが「良かった」と相槌を打つ間もなく、
それはこちらにおいといて・・と
K子は先を急ぎ、息子との一件について、話し始めた。


娘の弟である息子はまだ独身であるが、彼には子どもがいたのだ。
高校生のころに同級生(仮にS代としておく)とのあいだに
子どもが生まれていたことは、以前K子から聞いていた。
その子どもはその後どうしているのだろうと
わたしも他人事ながら気にはなっていた。


生まれた男の子は、母親であるS代と両親のもとで育ち15歳になっていた。
この子はK子にとっては初孫であり、しかも内孫になる。
その養育費は、K子が夫と相談のうえ送金していたが、
息子は以来、S代とは会っていなかった。
最近息子の消息を尋ねていたことをK子は知った。
「いったい何があったのか?」
K子にはいやな予感がした。


息子とS代(といっても今は30歳を越している)は
15年ぶりに会ったのだった。
その場で、男児は小さいころから体が弱く医者通いが絶えなく、
脳腫瘍が原因で「最近子どもが死んだ」と知らされたのである。
そして、『もう養育費はいらない』と伝えてきたのだ。


なんと言うことか!
長年懸念していたK子の実父、夫、そして孫までの死が
続けざまに訪れるなんて。
何の因縁があっての事なのか身が縮む思いをK子は感じた。


息子にとって子どもの存在は彼の人生にも影を落とし、
S代との結婚はしたくない、
かといって他の女性と生活を共にしても心が休まらない。
心底、相手を受け入れられないのである。
子どものことを隠しているから、どの女性とも結婚にまでいたらない。
そんなジレンマを人知れず抱きながら、息子も今まで生きて来た。


高校生の息子に子どもが生れたとき、K子は本気で赤ちゃんを
自分で育てようと思っていた。
しかし調停によって赤ん坊の扶養は、
S代とその両親に委ねられたのだった。


爾来、K子も影で成長を祈ってきたが、養育費の送金は
夫から継続されてきたのである。
しかし子どもの養育の責任はこれからもずっと続く。


息子のこと、S代のこと、孫のことなど今後どうなるのかと
K子の神経の休まるときがなかった。


そんな折の孫の死である。
息子の子どもの死を背景に息子とK子はしっかり対峙した。
息子は母親に「そんなに長いあいだ辛い思いをさせていたのか!」と
今さらながら懺悔し号泣したという。


生きていると人は様々なことに遭遇する。
過ちも、時には犯す。
相手の非を責めたりもする。
母親のそんな苦悩を知りながら、いままた母を悩ませ、
責めている自分に気がついたのか。
わだかまりはスーット消えていった。
幼い孫が命を賭して一本の救助の糸を投げかけてくれたと
K子には感じられた。
一度も会ったことはなかった孫が、絶妙なタイミングで現れたのだ。


K子自身が長いあいだ、父親や一番の理解者であるはずの母親との
確執をもっており、それは己の性格や生き方に大きな影響を与えていた。
「朝起きたら知らない女のひとが寝ていた」という具合に
父親の女性関係に悩まされ、そのことに起因する母親の神経の病。
長女であるK子は、幼いころから両親の不和をみて育ち
母親の愚痴のはけ口になっていた。


やがて自分が結婚してみると、これまた性格の不一致なるもので
夫との生活が意に沿わない。
別居、離婚渇望は、K子のアイデンティティにもつながる。
だからそのことに対しての強い執着心があったのかと推測する。
図らずも、K子の願望はまったく違った形で充たされることなり
子どもたちとの距離が一歩深まったことを意味する。


表題をK子のエピローグとしたが、実はK子にとっての
人生はこれから始まるので、プロローグが正しいと
密かにわたしは思っている。
「火宅の人」であった父の血を引いたK子は
その血が娘と息子のなかにうごめいていくことを怖れている。