「家」を守るということ


お盆が終わり、通常の生活に戻りほっとしている。
何も特別なことはしないのに、何故か気ぜわしい。


知人Aは1年から2年ほどのあいだに次々と大切な人を亡くした。
それは一度にやってきたという感じである。


Aの伴侶が3年ほどの病を得て旅立ったのが4年前だといい
その涙も乾かないうちに、同居していた実母の急逝である。
90歳を越して床に伏すこともなくあっけなく世を去った。
そして高齢の実父があとを追うようにして半年後に、逝った。


Aは妻が病床にあるころ、看病のため早期退職をした。
そして両親をも次々と看取ることになった。
思いもかけず妻と両親を短期間のうちに亡くした知人の
悲しみや寂寥は想像すらできない。


しばらく茫然自失の状態だった知人は、3回忌を終えた今も
自宅近くにある墓所に週に3回は通っている。
いまの季節・・花代がかさむと嘆きながら。


そしてお盆の仏さまの御守である。
訊いてみるとこれがまた大変そうである。
毎日、朝、昼、晩と 仏花の水を入れ替え
手作りの煮炊きしたお供えをし、自分でお経をあげている。


お坊さんに読経してもらうのも有り難いが
血のつながった親族のそれが一番いいようである。
わたしも自分で読経をしている。


Aは男性でありながら、なんと立派に仏前を整えてお墓を
守っているのかとズボラなわたしはいつも、感心している。
Aの家は代々続く旧家のようで、ムラ社会の人の目が常に
あり、気が抜けないようである。
息が詰まりそうで、できることなら知った人のいないところに
引っ越したいとまで、こぼす。


Aの長男一家は近くに住んでいてもお盆のあいだ長男と
小学生の孫が、手を合わせるだけにやってきて
嫁に至っては一度も来ないと憤慨する。
墓や仏前を守ることは、たぶん自分の代だけで、
終わるだろうと寂しげでもある。
最近のお盆の実態は簡素化しているとはいえ
まだまだ因習の残るこの地域のそれは、荷が重いらしい。


翻ってわが家はどうか・・・。
かつては知人Aのように3日間はお線香を絶やすことなく
外出することもなく仏前を守って来たけれど
最近はずいぶん手を抜いている。
最終日に映画を観に出かけたりするなど、わがままを通すようになった。


子どもたちはお参りにわが家を訪れ、一緒に食卓を囲み団らんしても
夜が更けるとそれぞれの家路に着く。
近いこともあり、やっぱり自分たちの家がいいらしい。


わたしが嫁してきた当時のお盆とはずいぶん様変わりしてきた。
義父母や夫の姉弟家族と車を連ね、岡山にある彼の生家で
賑やかなお盆を過ごしたものである。
小さかった子どもたちは、従兄たちと存分に川などで
遊ぶことができ、いい思い出になったのではないだろうか。
一方で嫁のわたしにとっては、大人も子どもも交えた
大人数分の食事を賄うその数日間は、忍従以外の何ものでもなかった。


廃屋同然になっていた家も神戸の震災後、
その地の知人を通して田畑とともに売却し
今は墓しか残っていない。


いま、それぞれの夫婦の時間を大切にして欲しいと願うわたしには
時々顔を合わせるだけで充分である。


そのうち、御仏壇も長男の家に置いてもらうことにし
ささやかな仏事の面倒をみてもらおうと思っている。
世代交代である。


特別なことをしなくてもお盆の行事は、日ごろの日常に感謝し
日本の大切な習慣として引き継がれて欲しいと願う。