「わたしが納豆を好きになった理由」

スカーレット・ヨハンソン主演の
「わたしがクマに切れた理由」というおもしろい
映画をずっと前に見て、この表題も気に入っていた。

今日はこのフレーズをもじろう・・・


職を辞して昼食を家で摂ることが多くなった。
昨夜の残り物のシチューや天ぷらや、魚を焼いたりの
簡単おかずのお出ましである。


簡単お昼のオハコは何と言っても「納豆どんぶり」である。
ご飯のうえに納豆をかけ、白ネギや青ジソ、焼のりを刻み
わさびと醤油を落とす。
適当に作って食べるがこれが意外とおいしい。


毎日、納豆を食べようと心掛けている身には
この食べ方も飽きず、気に入っている。
納豆どんぶりにお味噌汁、キュウリなどのぬか漬けが
あればお昼には充分である。


認知症予防などに役立つ大切な発酵食品の王様、
「納豆」を長いあいだ、わたしは食べることができなかった。


子どものころに食べる習慣がなかったのと
あの独特の匂いに耐えられなかったのである。
結婚してもなお、それは続いていた。
子どもたちや夫が平気でネバネバをかき回すそれを
横目で眺めていた。


しかし納豆嫌いと別れる日は、来た。


夫が病気をしてわが家の役割分担が変わった。
外で働くわたしと交替して、からだの調子が
いい時、家事全般を引き受けてくれていた。


特に料理は得意だったのである。
あれこれ安い食材を探し買ってきては
家族に手の込んだものを食べさせてくれた。
特にパスタ料理は好きで、あっさり味の「ペペロンティーノ」や
きのこをたっぷり使った「和風パスタ」、トマト味の「ナポリタン」
などは、子どもたちに好評だった。


決して豊かではないけれど、
「食卓はいつも贅沢だったなぁ」と娘が今でもしみじみ言う。
彼らの胃袋を満たし、日曜日など訪れる友人たちにも景気よく
振舞うのでわが家は娘の友人、息子の悪友どもが入り乱れ
食卓を囲んでいたものだ。


そんななか、わたしに納豆をおいしく食べさせたい一心で
工夫したのが「うす揚げ納豆」である。
うす揚げを半分に切り、そのなかに
納豆と青ジソのみじん切りにしたものを
詰め込み楊枝で留め、フライパンで焼く。


こんがりとした匂いと、ぱりっとした歯触りのそれは
以来わたしの好物になった。
夫は、どこでそのメニューを仕入れたのか知らないが
わたしの口に合い、納豆嫌いに歯止めがかかったのである。


昨日、ある古い友人と話し込み、たまたま亡き夫の話に及んだ。
彼女もずっとわたしたち夫婦を見てきたひとりである。


その彼女がいう。
「ご主人の作ってくれたゴーヤチャンプル、おいしかったわぁ〜」
「え?そんなことあった?」とわたし。
「あのゴーヤの食べ方が普及していないときに○○さんと
一緒によばれたわよ〜」
わたしは全然、そのことを覚えていない。


確かに、わが家を訪れる人たちに夫が簡単メニューで
もてなしてくれたことは、多々ある。


「水ナスのぬか漬け」がおいしかった!といまでも
言ってくれる友人がいるほどである。
あの世に行ってまで、料理で褒められる夫はしあわせ者か。


「わたしが納豆を好きになった理由」はこのようなわけで
たまには天国の夫に感謝しようかと、思うのである。



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たぶん問題解決していると思うのですが・・


ヒゴタイ 六甲山高山植物園で