小さな達成感

灯火親しむ候・・・
夜が長くなると、人も恋しくなるけれどじっくり
落ち着いて本を読みたくなる。
そういえば最近、小説の類を読むことが少なくなってきている。
時間がありそうで、ないのだ。


退職当時、心身ともに「疲れモード」で何もしたくなかった。
それまでの対人関係や、やってきたことの諸々からすべて手を引き
まるで仙人のように静かな日々を送っていた。
本がないと生きていけないほどの活字中毒だから
好きな「小説三昧」な時間を、貪ってはいた。


気がつくと、いつのまにか本から遠ざかっている。
宿ハチさんが持ってくる何やら難しい専門書や、
シニア・ナビで親しくなった詩人Y氏が送ってくれる本だけが
かろうじて今、脳みそを満たしてくれる。


詩人の彼も読書家で、読み終えた本を次々と宅急便で送ってくれる。
宅配されるそれはハードカバーの新刊で、話題の書籍が多い。
ますます嬉しく、ありがたい。


なぜ、本を読むことが少なくなってきているのか。
それには幾つか理由がある。
わずかな口凌ぎに在宅で仕事をしていること
それと同じぐらいの量で報酬のない「仕事」を受注?していることだ。


そのボランティア的なことが、けっこう時間を食っている。
おまけに締め切りがある。
月末になると複数のそれらのことで頭がいっぱいになる。
宿題を片づけないといけない子どものような心境だ。
安請け合いをしてしまったことを悔いるのも、こんなときである。


送られてくる原稿が遅くなると、こちらにも影響してくる。
かといって、別な件では早くからテーマなどが決まっており
さっさとやってしまえばいいものを、ズルズルと先送りにするせいで
お尻に火がつき、慌てることになる。


今月も火がつく前に、気になっていた案件を完成させ
ネットで送付したところである。
やれやれだが続きは、まだある。
なかなか気持ちは解放されそうにない。


せっかく手に入れた自由な時間に負荷はかけたくないと思う一方で、
雑多と思えるこれらのことをこなしていくことが
年々錆びていく脳の活性化に歯止めをかけられそうな気はしている。
多少なりとも水面下で社会と関わることに、
小さな達成感や、喜びも感じている。


自らに課している愉しみごとのひとつ (パソコン画) と
それらのことが日常の生活に根づいていて、
小説を読む愉しみが減っている。


いや、それ以前に昼寝と早い就寝をやめればいいのだ。
うまく時間配分しよう。
あれもこれもしたくない、と思いながら
あれもこれも手を出している欲張りなわたしがいる。