倉敷を愉しむ

倉敷は天領の地であり、高梁川と児島湾を結ぶ運河
“倉敷川”が江戸時代に造られた。
豊かな後背地からの年貢米を始めとする商品の集積地として
栄えた街であるという。


近年この運河沿いが「美観地区」として保存・育成されて
観光の愁眉になっている。
こうした特定美観地区は日本全国にみられ
群馬県の「富岡製紙工場」、木曾の「馬篭・妻篭」、
愛媛・八幡浜の「明治の町並み」や小樽の「運河」などが有名である。


8日付けブログに書いた倉敷と岡山への1日周遊は、
天高き秋空に恵まれ「JR西ご自慢」の韋駄天走りの新快速電車で始まった。
トクトク切符の1日乗り放題3,000円もうれしい。
駅の出入りには、葵紋の印籠を使う気分である。


神戸を過ぎると淡路島を左に、右には須磨海岸の松並が見える。
舞子を過ぎると明石大橋が見え、瀬戸の内海が静かに波をうつ。
トンネルが続く山陽新幹線では見られない景色である。
黄金色に埋めつくされた稲畑は豊穣の秋そのものだ。
さすがに茅葺屋根の農家はないが、赤い柿の実が映えて
童謡“里の秋”のような風情である。




倉敷駅はかつて訪れたときより様変わりし、大型ビル駅舎になっている。
観光客を迎える歩道も整備され、目的地の大原美術館へは、
ぶらぶらと散策を愉しんだ。



玄関前

画集を求めた


大原美術館は、倉敷の実業家大原孫三郎(1880−1943年)が
洋画家児島虎次郎 (1881年–1929年)に託して収集した西洋美術、
エジプト・中近東美術、中国美術などを展示するため 1930年に開館した。
西洋美術、近代美術を展示する美術館としては日本最初のものである。


第二次大戦後、日本にも西洋近代美術を主体とした美術館が
数多く誕生したが、日本に美術館というもの自体が
数えるほどしか存在しなかった昭和初期、
一地方都市にすぎなかった倉敷にこのような美術館が
開館したのは画期的なことであった。
ニューヨーク近代美術館の開館が1929年であったことを考えれば、
創設者大原孫三郎の先見性は特筆すべきであろう。
しかし、開館当初は一日の来館者ゼロという日も
あったほど注目度は低かった。


主な収蔵品
• エル・グレコ『受胎告知』(1599年–1603年頃)
• カミーユ・ピサロ『りんご採り』(1886年)
• モネ『睡蓮』(1906年頃)
ルノワール『泉による女』(1914年)
ゴーギャン『かぐわしき大地(テ・ナヴェ・ナヴェ・フェヌア)』
• ジョヴァンニ・セガンティーニ『アルプスの真昼』(1892年)
トゥールーズロートレック『マルトX夫人の像』(1900年)
マティス『画家の娘』(1918年)
• ルオー『道化師』(1926–1929年)
ユトリロ『パリ郊外』(1910年)
モディリアーニ『ジャンヌ・エビュテルヌの肖像』(1918年)
パブロ・ピカソ『頭蓋骨のある静物』(1942年)


ウイキから引用。


当館を代表するグレコの「受胎告知」やルノワールの「泉による女」
ロダンの彫刻「カレー市民」以外の作品は失念していた。
空いた館内でゆっくり絵画を楽しめば、ロートレックの「マルトX夫人」、
モネの「積みわら」「睡蓮」ゴーギャンの「かぐわしき大地」、
ルオーの「道化師」「呪われた王」など馴染み至宝がたくさんあり、
来て良かった!と叫ばずにはいられない。


同館には日本画家の青木繁関根正二小出楢重
佐伯祐三安井曾太郎などの作品も展示されている。
また、浜田庄司バーナード・リーチの陶器などもある。


この美術館を中心にして運河(倉敷川)沿いが、
白壁造りの「美観地区」となっており、付近には重要文化財の
「大原邸」、また「倉敷民芸館」「倉敷館」などがある。
かつて訪れたとき立ち寄った喫茶店「エル・グレコ」も緑の蔦に
包まれてあったのは、なつかしい。



美術の秋を名画で堪能した。
岡山市内では市電に乗るなどして、散策し
連休初日の混んだ駅で、おいしそうなマスカットと駅弁を求め、
夕刻の山陽本線の車中の人となった。