読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

コシノファミリーゆかりの岸和田へ

感動

かつて城下町として栄え、勇壮な「だんじり祭り」で知られる
岸和田市が連続ドラマ小説の舞台として注目の的!
ヒロインのモデルとなったのは、岸和田で生まれ育った小篠綾子さん。


日本のファッションデザイナーの草分けとして活躍し、
のちに世界的ファッションデザイナーとなる3人の娘を
女手ひとつで育てあげた「大阪のおかあちゃん」。
激動も波乱もてんこもりな時代を背景に
おかあちゃんと、個性あふれる3姉妹が織りなす
涙と笑いの子育て奮闘記・・・


――紹介パンフを見て岸和田を探訪することに決めた。


秋日和りの日曜日、お茶と果物をカバンに入れ、
まずは南海電車の最寄り駅までバスを利用。
岸和田駅を通り越し、岸和田城のある「蛸地蔵」まで行く。


「蛸地蔵」の駅はかつてその辺りまで海であり、タコが
採れたからその駅名になったということだが・・・果たして。

大正14年に築かれた南欧風の駅舎。南海本線では大正以前の駅舎は
数棟しか残っておらず、貴重な存在となっている。
天窓には蛸地蔵縁起のステンドグラスがはめ込められている、と
いうことだが今はくたびれて、ご覧のとおり。
おしゃれな感じはどこへやら・・・。


駅から浜のほうへ、古びた商店街を抜けるといかめしい「天性寺」がある。
「蛸地蔵縁起」によれば、天生年間(1573~92)、岸和田城は根来・雑貨衆に
攻められ。落城寸前であった。そのとき大蛸に乗ったひとりの法師と数千の蛸がどこからともなく現れ、敵兵をなぎ倒し、城の危機を救った。その数日後
城内に大切に収められた。その後天性寺に移され今に至る、という。



天性寺から岸和田城をめざすと道中に「だんじり会館」がある。
りっぱな会館である、最近建てられたのだろうか。
だんじりの歴史や本物のだんじり
展示してあるらしいがゆっくり見ることもなく城下町を散策。



だんじりキチガイの愚息が、ネットを
検索したら出てきたので・・おまけ画像。
だんじりの屋根のうえで跳ねています。


桜の紅葉に包まれた堀を歩くと岸和田城が見えてきた。

岸和田城(千亀利城)がいつ、誰が建てたのか定かではないが
戦国時代(16世紀ごろ)には、当時泉州地方を治めた松浦氏の
居城として現れる。
慶長2年(1597年)には秀吉の臣・小出秀政によって天守閣の
ある近世城郭として整備される。以来明治維新までの230年間、
岡部氏が泉州統治の拠点とした。
岸和田城は五万5千石であったが城の規模は
三十万石級の大藩の城に匹敵するほどの豪快さであったという。


岸和田城の堀を歩くと荘厳な屋敷がある、五風荘だ。


岸和田城内の新御茶屋跡などには、昭和4年から10カ年の歳月を要し
造営された広壮な回遊式日本庭園。約2500坪の敷地には
日本建築の粋をこらした主屋と庭園を見渡せる3つの茶室がある。
庭園の散策ができ、食事も楽しめるようになっているが
宣伝の効果なのか、いつも満員である。
先日も2時間待ちだった、とてもそんなに待てない。


お昼時を過ぎるとお腹も空いてくる。
食べるところをみつけるべく、ぶらぶらしていると
網の目のような商店街が延びている。
左や右の小さい路地まで商店が軒を並べているが
時代の波には逆らえず、ひっそりと閉まったままの所が多い。
コシノファミリーが一世を風靡しているころ、ずいぶん
賑やかだったのではないだろうか。


ようやくドラマのロケ地である「コシノ洋裁店」に着いた。
間口の狭い、こじんまりとした2階の店である。



アトリエを再現した仕事場・・・
3姉妹の写真が・・・


お腹がすいてきたので、「双月」というお好み焼きさんで満たす。
大正15年創業という店はうなぎの寝床のように奥へ深まっている。

大阪ではここでしかたべられないという特製の?
お好み焼きを注文した。
1枚のお好み焼きに玉子3個を使い、粉をまったく使わないで
焼くのだそうだ。
お菓子のようにフワフワしている。
でもソースもそれもおいしい!!


商店街をぶらぶら・・・
だんじりが通るためにアーケードの天井は高い。

]
南海岸和田駅


小さな小さな旅は、よく歩いた・・・。
ちょっぴり疲れたけれど少し岸和田が身近に
感じられた半日だった。