シニア・ナビのYさんは、退職後に野菜を作っておられる。
趣味と自身の健康を促すためらしいが、
季節の作物の出来は立派なものである。
先日は白菜が収穫できたことをブログで綴っておられた。
その白菜で、まずは漬物を、と意欲満々である。
他にもホウレンソウなど旬の野菜が豊作のようで
野菜作りに縁のないわたしには垂涎の的だ。
旬の自作の野菜を食べられるほど、しあわせなことは
ないように感じられる。
自作には遠く及ばないけれどこちらも新鮮な白菜を仕入れると
さっそく「白菜の浅漬け」を作った。
あっさりと漬かった白菜は、昆布とトウガラシで深みが出て
白菜の甘みと相まってそのおいしいこと!
ユズを一緒に刻むと柑橘の香りに誘われ、ご飯がいっそう進む。
つい最近までは、ダイコンやニンジン、キュウリなどのぬか漬け
三昧だったけれど今、やっぱり白菜漬けである。
白菜の漬物など、最近の若い世代はそんなにおいしいと
感じないかも知れないけれど、わたしの子ども時代は
来客があると「お茶うけ」の代わりに漬けものを出していた。
その定番は白菜の漬けものである。
近所のひとが訪れると縁側に腰かけ、話がはずむ。
珍しい菓子や買い置きを、お茶と一緒に出したりするが
ほとんどの家庭では、自家製の漬物が多かった。
料理好きな母の出番多し、である。
春に出来る高菜とも呼ばれる「からし菜」や、秋ごろに漬ける
ダイコンやニンジン、ゴボウは、自家製の味噌の中に漬けこむ。
長いあいだ昆布とともに味噌の味を引き立たせ、冬には欠かせない
おいしさの定番だった。
そんな漬け物自慢をしながら、近隣の母親同士よもやま話に花が咲く。
今ほど娯楽の発達していないころ、漬け物片手に弾む会話は
社会との関わりを深めるなど、貴重な情報源だったのではないだろうか。
井戸端会議ようのそれは、それぞれが胸に収める小さな悩みや
愚痴のはけ口になり、心身のリフレッシュを図る憩いの場でもあったのだ。
元気や平安な心を取り戻し、家路へと急ぐ。そのことで
嫁姑の確執も、子育ての不安も薄れ、一家の団欒の一助になっていた。
近視眼的な固執から離れると昨今、胸を痛める、子どもや
老人に対する虐待など、縁遠いような気がする。
漬物など食を巡る文化には、先人の知恵があり、生き方を感じさせる。
ユズの香りの白菜漬けをほお張りながら、遠い晩秋に母を思った。
昨夜の夕餉・・スズキとイカの刺身
大根のケンと昆布の細切りにユズを絞ると、意外にイケる。
お酒は桃の果実酒、スコッチよりおいしく感じだした。