「子を持って知る親の恩」

娘はこの春、第三子を出産する。
予定日は3月上旬だけれど、帝王切開になるから
早めの出産を、ということで2月末に生むことになった。


こちらもそれに合わせて仕事の調整をしてそれに望む。
幼稚園もあるから、実家に帰ると言うわけにも行かない。
娘夫婦と話し合ったうえで変則的な形になるけれど
入院中と退院後の在り方を決めたところである。


娘は二人目の出産のとき(かえで)、母体の体調の変化で急遽、
帝王切開に切り替えられた。
第1子(潤平)のときは、初産にしてはすんなりと生まれ
同じように安心していたから予定日より早く
そして小さい目に生まれたときは、娘自身のからだのことと
あいまって、ずいぶん心配したものである。
その子もいまや、3歳の生意気盛りとなり
口達者なぶん、まわりを笑いの渦に巻き込むほどに成長した。


娘は、つわりもさほどなく日常生活も
ほとんど普通と変わりなく元気に過ごしている。
ところが臨月に入るや、血圧が急にあがったりして
本人はもとより、まわりをやきもきさせる。
妊産婦にとって血圧の上昇はちょっと心配である。


臨月を迎え入院の日取りも終えた今日になって
「頭が痛い」と言い出し、もしや血圧の関係か・・と
あわてて娘宅を訪れ、病院へ向かわせた。
結果、いまのところ風邪の症状に似ているということで
安心して帰ってきたが、ふだん健康な母体でも、
いつなにが起こるかわからない。

冷えないように、
心配事を抱えないように、
しっかり食べるものを食べて・・と
口を酸っぱくして言う。
無事、生まれるまでは、気が気ではない。


娘のことを案じていると、わたしはいつも自分自身のそのときを思い出す。
同じように案じ、はるばる里から娘の婚家先に手伝いに来てくれた母を思うのだ。
姑が逝き、舅や下宿人を抱えたわが家によく来てくれたものだと
感謝せずにはおれない。


娘は子育て中に、親と似たような言動や
振る舞いをして子どもを叱ったりしていることに気づき
逝った父親や、母であるわたしのことを想うらしい。
「子育てって、大変やなぁ・・・」
「子を持って知る親の恩やなぁ・・」娘が、しみじみと言う。


ひとりの人間の誕生、成長を見守り、一人前に育てる過程は
一大事業のように思えてくる。
娘よ、からだを大事にしてや・・・
親の心配は尽きない。