芥川賞作家 円城塔博士・人生は塞翁が馬か

遂にポスドクから芥川賞を掌中にした作家が出た。
悲観的に記すわけではないが、ホスドクから受賞者が
出現したことを喜び、彼を称賛すべきなのかもしれない。
しかし物理学者を目差して15年間ほどを苦闘してきた同氏には、
これほどの悲喜劇はないのではないか。


芥川賞受賞のようすをテレビで見た。
「もらっといてやる」発言の田中慎弥氏が注視されているなか
同時受賞の円城塔氏は、影が薄かったが田中氏と同年齢でもあり気にかかる。
どんな人なのか。


彼は東北大卒、東大・大学院で物理学を専攻した博士である。
しかし、すぐに常勤の研究者になったわけではなく、
ポスドク」という立場で
辛酸をなめたことを2008年1月に日本物理学会誌に寄せている。


ポスドクからポストドクへ」というタイトルで、
ポスドクの現状と問題点を生々しくつづったそれは
はてなブックマーク」のエッセイにも転載されていた。


ポスドクとは、博士号を取得した後に任期付きの研究職に就いている人や、
そのポストそのものを指す言葉であるらしい。
日本ではポスドク制度が運用され始めてから日が浅く
雇用形態や社会保険制度などの面でさまざまな問題があるとされている。


エッセイは「三十四の春」まで研究生活を送っていた円城氏が、
民間会社に就職したところからはじまる。
「任期三年から五年、よくて更新一回程度という、人を完全に馬鹿にした」
雇用形態の不安定さや「事前に知れることがほとんどない」うえに
「計画の立てようがない」突然の削減もありうる給与待遇の実態、
若い研究者が精神的に追い込まれ、
「静かに狂っていく」様子などに言及している。


末は博士か大臣か・・・と垂涎の的よろしく憧れられたそれも
いまや博士については正規の研究職に就けない不遇があるようで
わたしには理解し難く、信じられない思いだ。


日本が教育制度を模倣して1990年代から大学院重点化政策を
とったお手本の米国では、不景気になると人員整理は厳しくなり、
博士号保有者のタクシー運転手が多く出現するという。
この現象は日本でも起こっており、文部科学省
先月発表した調査結果では、ポスドクは約1万5,000人おり
博士余りの高止まりが続いているという。


こうした傾向は2003年から発足した専門職大学院で更に拍車がかかり、
とりわけ法曹職をめざして毎年2,000人以上の
司法試験に合格がでていると聞く。(以前は毎年500人ほど)
このため今日ではイソ弁(居候弁護士で弁護士事務所に寄食して
見習弁護士=勤務弁護士)は月給10万円ボーナスなしもあるとのこと。


わが息子に、末は博士かと願ったが、それは分不相応な想いであった。
彼は遊びにはことのほか熱心で、その挙句ブラスバンド
熱狂する高校生となり以後、博士(ハクシ)は白紙となり夢のなか(−−〆)
今日愚息は勤続15年余、妻をめとり茅屋の主となり
岸和田ダンジリの大工方に血道をあげている始末である。


円城氏がポスドクを離れ他の分野に職を得た際に
「お前が研究者をやめてくれて心底からほっとした」と
いう母上の言葉に、親としての安堵の気持ちが理解できる。
大卒初任給ほどの待遇で居場所を探してきた息子の転身を
心から喜んでいたとのことである。
「これまでホスドクで大変に苦労をかけ、これからは
親孝行をせねばなるまい」と恥じ入った次第であると語っている。
新天地での円城氏の今後の活躍を期待したい。


『人間(ジンカン)万事塞翁が馬』を思う。