反面教師

「お母さん、ほんまにA型?」使った掃除機をみて
娘があきれたように言う。
近頃の掃除機は引っ張り出すにも、片づけるのも複雑で面倒だ。
それに、やたら重い・・・。
しまうとき、ホースを巻きつけないで無造作に立てていたところ
あまりの大雑把な片付けかたに疑問の声が出た。



血液型には、多少当たらずとも遠からじで、執着しないが
鷹揚な性格の娘もやはり似たような面を持っている。
たまに繊細な面も覗かせ、見た目だけでは判断できない。


昔のシンプルな家電製品しか使っていない我が家と違い
娘宅は洗濯機を始め、万事面倒なのが多い。
使い方をいちいち教えてもらわないといけない。
娘の家と言えど、慣れないところでの家事は骨が折れる。


やれ「米は?調味料は?ふきんは?」訊ねると
聞かれる方も、おちおち寝ておれない。
自分でやったほうが早い・・内心思っていただろう。
早く動きたくてたまらないようだ。


しかし最低、産後3週間はじっと我慢の子でいてもらわないといけない。
親も子も、孫たちも、その生活に戸惑うことが多く
順応していくのにはエネルギーがいる。


一方で、小さな赤ん坊がひとり増えただけで
家族みんながその何倍もの喜びとしあわせを実感する。
やれ泣いた、あくびをした、目を開けた!など
ひとつひとつのエンゼルのしぐさが面白くて可愛くて注目の的だ。
5歳も3歳も我先にと世話を焼きたがる。


平穏で、にぎやかで、心温まる日常が過ぎていく。
わたしは娘のところに泊ったことは一度だけ、ある。
娘や息子のところを訪問しても決して長居はしない。
古い友人宅でもそうだが落ち着かないのだ。
まるで長いゴムでひっぱられているように
何の変哲もないわが家へと急ぎたくなる。


「家政婦修行」も終盤に近づき、ボチボチお役目解放である。
婿殿が仕事の合間を縫って家事や育児に協力的なので助かる。
夫の協力なしでは3人の子育ては負担が大きい。
経済的には決してゆとりはないが、そのぶん二人が力を
合わせて子どもを育てている様に、ほっとしている。


独身時代の娘はそれなりに仕事をこなし、結婚生活には不向きでは?と
危惧したが、親の心配をよそにどっぷり主婦業にいそしんでいる。
母親のわたしより、家庭的でさえある。


年末のおせち料理も「一緒に作ってあげよう」と言っても
自分で作るからと、耳を貸さない頑固者だ。
「お父さんが生きている間に魚のさばきかたを
教えてもらっといたら良かった」と
言うほど、まめに料理も作り楽しんでいる。
夫に似たのだろうか・・・。


3歳のかえでが自分の靴や、スリッパ、はたまた家族の分まで
きちんと向きを変えて揃えているのを見て
「誰に似たんやろう?」娘がにんまりして、言う。
「それは隔世遺伝というもの!」と、胸を張って言いたいところだが
さすがに言いかねた・・。


キッチンの収納棚やクローゼットの中もきれいに整理されており
普段の生活の一端を知ることができる。
チビたちが一人で服を選んだり、着脱できるように
しつけられているのには驚いた。


歯も、毎夜歯磨きのあと親が点検している。
二人は、小さな動物のように仰向けになり
順番を待ちながらカバのように口をあけている。
ゆとりのある育児のように思える。


バタバタと忙しかったわたし自身の子育てとは、大違いだ。
大雑把で鷹揚さのあり過ぎる母親に育てられ
自分はしっかり己のスタイルを築いているように見える。


娘が、親の反面教師になっていることを感じないわけにはいかない。