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想像力について

感動・社会事象

今の10代は、自分の意見というものを
しっかり持っていて感心させられます、と知人は語り
そのなかで18歳高校生女子の、新聞の投稿に関しても褒めていた。



作家佐藤愛子が、たまたま相席になった喫茶店で交わした会話である。
相手は7歳ほど歳下で元教師。


その投稿文は・・・


「 想像力の必要」についての意見である。
「想像力は本来、人間として誰もが持っているはずの力である。
なのに、今の政治家にはそれがなさ過ぎる。東日本大震災以降、
不用意な発言をして辞任した大臣が何人かいるが、
そのなかの一人、鉢呂経産大臣は福島第一原発
周辺を視察した後、新聞記者に向かって『放射能をつけるぞ』といった。
被災者の気持ちを少しでも想像する力があれば、
絶対に出るはずのない言葉ではないか 」


18歳少女は、そう批判しているのだという。


それに対して、佐藤氏は「なるほどねえ」と言ったけれど
相槌であり、同意しているわけではない。


そして思ったことは、
「このごろの新聞はどうしてこんなくだらないことを
取り上げるのだろう」ということだった。


あちこちで、そのことが取り沙汰されるたびに、
「大臣が、その言葉を出したときの前後の状況は」と疑問を持った。
いやがらせごっこをする時じゃあるまいし、何か「おふざけ」が
出るような成り行きがあったのでは?と思い、また新聞は
そのなりゆきを省いて言葉だけを報道したのではと想像した。


週刊誌などは受け狙いで一方的な報道をするけれど、
「新聞よ、お前もか」と憤慨せずにはおれなかった。


――― 想像はもっと幅広く、深く、冷静に!というのはたやすい。
しかし、そういう想像力を持つには、数多い人生経験、人間関係
この世の仕組みや、人生の哀楽を経験することが必要だ。


18歳の賢い少女が真剣に思い、書いた投稿には
その姿を想像し、ほほえましい気持ちになる。


もし、彼女に向って何か言うとしたら、
「被災者の気持ちを想像するだけでなく『つけるぞ大臣』の
気持ちを想像することも大事よ」と、あるエッセイに綴っていた。



なるほど、モノの見方というのはそういうものか。
一面だけ捉えてはいけないのだ。
わたしもどちらかというと、佐藤氏の知人が「感心した」と
いうクチかもしれない。


表面的なことを鵜呑みにするたちである。
ものごとはすべて表裏一体、表に出ない真実もあるはずで
そちらがより真実に近いかもしれない。
想像力を働かせることは容易ではない。
人生経験が必要になるわけである。


それに比べて昨今の想像力の低さよ。


このような高レベルの想像力でなくとも
世の中にはもっと想像力を働かせれば他人を犠牲にし、
自らも一生を棒に振ることもなかっただろうに、と
憂える事件があとを絶たない。


社会的地位やそれなりの年齢に達した大人の、痴漢、万引き、虐待は
言うに及ばず、ストーカーや殺人などは目を覆い、耳を塞ぐ。
その犯罪に至るまでに、「あとに起こる様々なこと」を
想像しなかったのだろうかと、思う。


未成年の少年たちが無免許で車を乗り回し、あげくに人を跳ね、
死に至らしめた事件も連続して起こり、教訓として何も生かされていない。
到底、許せるものではない。


その年齢になっても、自分たちがやっている行動が
どのような結果を招くか、想像できなかったのだろうか。


少しの想像力があれば、自らの行動に歯止めがかかるはずである。


どのようにしたらそれは育つのか。
やっていいこと、してはいけないことの善悪を、
親は小さいころから、繰り返し教える。
結局、親子の会話や家庭内での躾に起因するのではないのか。


むごい事件、事故が起きるたびに想像力の欠如を思う。