わが世の春

「自称・後期高齢者」の知人女性はいつも溌剌としている。
いまどきの70代のなんとアクティブなこと。
まばゆいばかりだ。


手話歴30年になるという彼女は退職後、
地元の自治会や老人会に初めて足を踏み入れた。



夫は数年前に他界し、子息は結婚後関東在住。
息子とはめったに顔を合わすこともない。
ひとり暮らしが寂しいかと言うとそうでもなく
『おひとりさま』を堪能している風である。


時間が自由に使える!
黄金の時期だと言わんばかりに『いま』を謳歌している。


請われて会のホームページ作成にも初めて挑戦した。
数か月で努力の甲斐あって、内容豊かなサイトが出来上がった。
ページに挿入する会報誌もみせていただくと
ワードで作成したというそれは、レイアウトや文章の編集が垢ぬけている。
元々そのような才のある方だから、素晴らしいページができたのだろう。


事務局長を兼務しており、いずれ会計も理解したいからと
最近はエクセルを習得中である。
関数を使ってグラウンドゴルフのスコアもつけてみたい。
向学心旺盛である。
学ぶことが楽しくて仕方ないようである。


会の重鎮は退職後の70代男性陣ばかりで
かつての職歴などをみても錚々たる人物がひしめいているようだ。
会の活動に心を砕く闊達な母の姿を遠方に住む子息は
安心して見ているようでもある。


老齢の重鎮が「まるで娘さんみたいやなぁ」と
自由に時間を繰れる彼女に、冗談とも本気とも言えない揶揄を発する。
傍目にはお気楽に見えるらしい。


確かに、いつ何をしようが自由が利き、誰も咎めるものがいない。
介護の必要もなく(かつてはあったかもしれないが)
まったくの一人というのは、危急のときリスクは高い。
それらを受け入れたうえでの「お気楽生活」である。


一方で、70年以上も生きてくると
何らかの心の錘を引きずっていることもある。
何の苦もなく生きてきたように見える彼女も例外ではない。


最初会ったときにずいぶん目の大きい人だなぁと感じていたが
それが病気の症状であるとは知らなかった。


今の外見からは想像もできないが複数の病に罹患したのだそうである。
30年以上も前のことである。
原因がはっきりしないうえに治療法も確立されてなく
日に日に衰えてくるわが身をのろい、死を思ったことも
数えきれないほどあった、と言う。


それが何の縁か、彼女の共通の知人からの配慮で
遠方にある専門医を知ることになり
ようやく難病指定の病であることがわかったのだ。


今のようにネットが普及していない時代に、貴重な情報だったのである。
教えてくれた知人の知り合いに感謝している
そして服薬を続けながらも普通の暮らしが出来ていることをありたがいと述懐する。


ひとはそれぞれ、持って生まれた「運」というものがある。
彼女の場合は病との闘いであり「一病息災」を生き抜いてきた自負があり
それによって精神をも鍛えられ、他を慈しむ心も人一倍養われてきた。


ゆえに残された時間を精いっぱい他のためにも使いたい
自らを向上させ、愉しみの領域を広げたいと
子どものように目をくりくり動かしながら、伝えてくれる。


現状を受け入れ克服してきた人の言葉は、重い。
今の安寧の境地は、過去との真摯な対峙によって
手中にしたものであり尊いと感じる。


リタイア後をどのように生きるか、それぞれの命題でもある。
「黄金のとき」を、しっかり選択し悔いなく生きたい。
わたしも「自称・後期高齢者」の彼女をみていて強く願う。