故郷は遠くにありて

お盆や企業の夏休みを迎え、恒例の帰省ラッシュが始まった。
関空からは国内外への旅行者や、新幹線も幹線道路も混雑の極みにある。


車での往来は、無残な事故に巻き込まれるケースがあとを絶たない。
特に墓参の帰りのそれは、他人事とも思えず神仏の采配に胸が痛む。
毎回、繰り返される民族大移動。


わが家もかつて、その一員だった。
夫の郷里が岡山にあり墓参のために帰省していた。
義姉夫婦2組と私たち夫婦、夫の両親とで3台の車を連ねて帰る。
夫の家族は大阪に住んでいても、先祖伝来の田畑や墓地は郷里に残したままだった。


今ほど高速道も充実しておらず、岡山までの帰省は半日がかりである。
早朝暗いうちに家を出る。
渋滞に巻き込まれることを恐れるからだ。


よちよち歩きの娘と、3歳のやんちゃ盛りを連れての
それは、きついものがあった。
おむつや着替え、飲食物などを携え
引越しかと思うほどの大荷物である。
行きたくないとは、言えない。


かつて栄華をたどったであろう、「シコロ」のりっぱな屋敷も
長年、人が住まないと廃屋に近い。


長旅を癒す間もなく、到着すると家屋の大掃除にかかる。
帰阪するころにようやく、住める程度になっていた。
トイレは下を見ると怖くなるような「チャッポン便所」である。
息子をトイレに行かせるだけでも落ちないかとヒヤヒヤした。


夕方になると、家々から灯りのついた提灯をぶら下げ、墓に参る。
子どもたちが蚊に刺されないよう、山への石段から落ちないよう、
まわりが支えてくれても、忍耐のひと言に尽きる。
夜は4家族の食事を義姉たちと整え、酒盛りが始まる。


子どもたちには賑やかで楽しい夜である。
年かさのある従兄弟たちに遊んでもらい、ご機嫌だ。
朝になると待ち構えていたように川へ魚を釣りに行き、
虫取りにでかけるなど当時の思い出を長男は
大人になった今でも懐かしげに語る。


1歳の娘が、縁側から落ち、おでこにキズを残したこともある。
親としては、ハラハラすることが多く、
一刻も早くわが家に帰りたい気持ちが募る。


キャンプ生活にケが生えたような田舎の滞在は
わたしには負担で義務感ばかりが大きい。
そういうことを毎夏、繰り返していたのだ。



今は盆・正月ともシンプルになった。夫の姻戚とも疎遠になり、息子夫婦や娘家族と気楽に迎えるだけである。
仏壇を掃除し、お盆用の花に生け変えお供え物を供し、
わが家で故人を偲ぶ。
落ち着いたお盆である。



「お盆が来るのが恐ろしい」と、どなたかが、ブログで書いていた。
仏様を迎えたり、祀ったりすることには抵抗はないが
その些事に関わることの方が煩わしい。
早く終わってくれればとの思いもあるだろう。
わたしもそのようなことを味わったから、よくわかる。


嫁しゅうと、小姑との確執や親族とのつきあいはストレスだ。
かつてを思うと、ひとつの時代の終わりを感じる。


すっかり跡形もなく変化した気楽な今を
「お母さん、今が一番しあわせね〜」と娘がねぎらう。
確かにそのとおりである。


故郷は遠くになった。