心やわらぐもの

秋の始まりは、寂しい。
ギラギラした日差しが傾き、コオロが鳴きはじめると
センチな気分になる。
なぜか人恋しい。
[:
一日おきにブログを発信している。
書き出して3年になるとあちらこちらに馴染みの友が増え
軽口も叩けるぐらいの親密さも増して来ている。
ネット友との交流はおもしろい。
そして心なごむ。
一度顔を合わせていると、安心感もある。


交流サイトのなかでは、ギャラリーなどを通じて親しい人が増えた。
歳を重ねるとだんだん出会いの場も少なくなり、似たような価値観や
感性を持った人との出会いは、大海で爪楊枝を拾うように希有なことになる。
言葉を交わし気持ちがほっこりし、嬉しかったり
励みになるなど、バーチャルであっても充分心を満たす。


一方で日々、似たような交流をしていて
突然、疎遠になったりすることがあると
どうしてかなぁと気を揉み、寂しくなる。
はっきりモノを言い過ぎて、あちらこちらで顰蹙を買っているに
違いないと、小心者のわたしは思ってしまう。


この数カ月、ある方と何となく意思の疎通ができないでいた。
ずっと心に残り、理由をあれこれ考えた。
あの時のメールでの表現が適切でなかったのか?
放った言葉が誤解されていないか・・・
考え出すと気になる。


万人と合わせられないとしても、万人に好かれないとしても
やはり、一人の人との意思の疎通が出来ないのは寂しい。
「ネット社会というのは、そんなものだよ」
だれかが教えてくれた。
割り切る方が楽かもしれない、わたしもそう思う。


それでもやっぱり暗雲が気持ちの中にこびりつき
時々頭をもたげては、虚になることがある。
現実社会でもそうだけれど、他者とのコミュニケーションを
図るというのは、むずかしい。


先日、ナビの相談室を覗いたらサークルを立ち上げたまま
退会し、また新規に入会したりを繰り返した人のことを
非難めいて記された記事を読んだ。
名指しされたその方を、こちらは無論知らない。


けれど「退会、入会の気持ち」は、わからないでもない。
勝手な想像だけれど、心のどこかで傷ついたり、齟齬を感じたりしたのではないか。
あるいは何か原因があって、いたたまれない気持ちのまま、
ナビを退会したのではないかと推察する。
そうして、ほとぼりが覚めると、ナビが懐かしくてまた登録する。
ということではないだろうか。


顔が見えない分、誤解を生むこともある。
何となく相手と風通しの悪さを感じたら
思い気って相手にメールを出してみたらどうだろう。


前述の方にわたしも勇気を出して、したためてみた。
こちらの懸念をよそに、まったく意に介していないことがわかり
あらためて新密度が増し、嬉しくなった。


やはり、顔の見えない相手であっても
きちんとリレーションができると気持ちが充たされる。
現実社会も、ネットの中でも心やわらぐ交流を願う。
知らず知らずのうちに人を傷つけていないか
案じる自分がいる。


少し歩をゆるめてわが身を振り返る。
やっぱり秋は感傷的にさせるらしい。