「夫たちの怖い秘密」


絵画を通して歴史や文化に触れている「怖い絵」の著者・中野京子氏が
あるエッセイ集のなかに「夫たちの怖い秘密」と題した短文を載せている。
怖い絵という本を出したせいでもないけれど、立て続けに妙な話を聞かされる
はめになったという著者。




どれも長年いっしょに暮して来た知人夫の、怖い話らしい。
おもしろかったのでエッセイから、少しはしょって紹介する。


お見合い結婚したA子さんの例
夫は地方出身。大学から東京で大手企業のサラリーマン。
子煩悩で家庭的。傍目からは普通の中年男性と言える。
ただ兄弟仲が悪く、故郷に残って農家を継いだ弟を何かと言えば
「あいつは意気地無しだ」とバカにしていた。
その田舎で葬儀があり、A子さんは夫の代理で出席し、件の弟と通夜の席で隣り合った。
酒が入ったせいか弟はポツリポツリ、こんな話を始めた。

・・・・・
「兄は子どものころ、飼っていた犬が隣人を噛んだからと棒で殴り殺し、風呂場の窯で焼いた。 ぼくが泣くと、臆病者と罵られた」
「兄は海へもぐり、人間の頭がい骨を拾ってきたことがある。おもしろがって机の上に飾ったので 、僕が嫌がるとお前みたいな弱虫は見たことがないと嘲笑った」


弟が嘘を言っているとも思えない。
でも弟が語る「兄」なる者と自分の「夫」が同一人物とはとうてい信じられない。
いまだに真相を確かめることができなままだ。
・・・・・


B子さんの例
彼女は地方の大金持ちのひとり息子と恋愛し、典型的な玉の輿に乗った。
彼の父親は代々受け継いだ広大な土地から上がる収入で生活し、生涯
一度も働いたことがない。若夫婦もまた父親がくれる金で優雅に暮らし
子どもも成人した。


ところが結婚25年目にして、父親が急死。
それまで夫は地代の催促、数棟のマンションの見回り、清掃などの仕事が
主だったが、書類に目を通すことになり、彼が「登記」という漢字すら
読めないことを知って愕然とする。
長年の勉強不足の積み重ねで、学力は小学3年止まり。
夫が卒業した高校、私大は、一族が関係していた学校なので
裏口入学だったのだろう。


彼はいかにも金持ち坊っちゃん風で、カシミヤのセーターを
ゆったり着こなし、暖炉の前でパイプをくゆらせながら、何時間でも
黙って、ただ椅子に座っていられるタイプで、妻としてはそこが
好ましかったのだが、あれは要するに何も考えていなかっただけで
寡黙なのも話題がないからに過ぎず、「わたしは騙された」と憤る。


とりあえず腹を立てている場合ではないので、書類はすべてコピーして
ルビを打ち意味も辞典をひいて教えてあげる。
いずれこの仕事はわが身にふりかかってくるので気が重たい。


C子さんの場合はより深刻。
共に研究職で結婚7年目、子どもはいない。
家事は平等にこなし、仲良くやっているとずっと信じてきた。
ある日の夕方、夫がいつものように書斎から出てきた。
口紅を塗り、花柄のスカートをはいた姿で。
そして宣言、「これからは僕を女として扱って欲しい」
「じゃぁ、これからわたしは男かよ!」と言い返すどころではなく
唖然、呆然、夫の女装のあまりにもサマになっているのを見れば
何を言っても無駄なことはすぐわかった。
以後二人は家の中では女同士として、外では今までどおり夫婦として
一見変わりなく暮らしている。


今回の3つの悲喜劇は、謎と言う存在すら知らなかった箇所に
いきなり亀裂が入ったわけで、裂けた割れ目の向こう側に見えた世界がもの凄まじい・
そのことを人に語れるようになっただけ、再生の意欲と逞しさが甦りつつあるのかと
著者は結んでいる。


はてさて、皆さまはどのように感じられただろうか。
「夫の怖い秘密」のていでいくと、その逆パターンもまた考えられるが
世の中にはまだまだ他人に言えない秘密を背負って
生きているひとも多いのではないか。


いまNHKの火曜日の夜に沢口康子演じる「シングルマザー」が放映されている。
夫のDVが原因で夫の元を飛びだし、夫の影におびえながら
小さい子どもと暮らしている女性の自立を描いたドラマだ。

たくましさと健気さで元気が出る物語ではあるが
夫が、逃げ出した妻の居所を突き止め、脅かしたりすかしたり
して復縁を迫るときの狂気に満ちた表情には怖いものがある。
へたすれば殺される可能性だってあるのだ。


これなども結婚前に夫の性癖として見抜くのは至難の技である。
夫婦のあいだの諸々は、すべて夫だけの責任ではないとする意見もあるが、
こうした例の場合、予知するべくもない。


世の中にはしあわせを絵に描いたような夫婦ばかりではない。一生に一度と思う大きな決断の「結婚」だ。
予測できないことがあっても乗り越えていくことが幸福につながる場合もあるが「DVの怖い夫」の場合は「逃げるが勝ち」が賢明とも言える。