未来を担う子どもたち

わが孫たちの通う幼稚園の「合同コンサート」なるものがあり
目じりを下げて行って来た。
市制周年を祝しての企画であり今年で4回目だそうである。
市内の5つの公立幼稚園が合同となると父兄や祖父母も合わせて相当の数となる。



市民会館の大ホールで、午前、午後に分けて行われた。
こちらは午後からの開演に昼食も抜きで待ち、外で並ぶこと1時間余り。
寒風が吹いていなかっただけ幸いだが、それだけでくたびれる感じだ。


なにごとにも、せっかちなばぁばである。
早く並んだおかげで最前列に近いところに席を確保できた。
米粒のように見えるたくさんの園児のなかで、わがチビたちを見分けるのは難しい。
これならはっきりわかる、というものだ。
まったく「ばぁばバカ」にいっそう拍車がかかっている。


3歳から5歳児と言えば成長に格段の差がある。
先日の運動会でもその変貌ぶりをしっかり真のあたりにし
涙腺を緩くしたものだが、大勢の他の園児に交じっての
子たちの緊張や楽しさぶりをじっくり観ていると
やっぱりウルウルしてくる。


娘はまた隣で鼻をすすり、ハンカチが手離せない。
こんなにセンチで子煩悩な親になるとは意外だった。
膝の上の10カ月になる赤ん坊は、ママのほっぺたや
口元やあごをつねったり、撫でまわしたりして遊んでいる。
手がズルズルに濡れている。


わが3歳児は他の園児と交じっても遜色ない?ほど、小粒でいじらしい。
小さくて一番前の列に並ぶからすぐわかる。
幕が開いても、キョロキョロとあたりを見回しそれでなくとも目立つ。
隣の仲良しの子が途中で席を変わり、気にしている。


コンサートが始まると手ぶり身ぶりも大きく、口もいっぱいに開き
まるで主役のように悦に入って、歌っている。
心底、大衆の面前で歌うことが好きなようだ。


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年長組はさすがに堂々の風格で
来年は小学校に入る気概からか、幼なさから脱皮している。



3歳から5歳児まで緊張して居並ぶ姿に
よくぞここまで育ってくれたなぁと親ならずとも感慨にふける。
一方で無垢な子どもたちが、これからどのように人生を送っていくのだろうか、と
案じずにはおれない。
親の、子に対する関わり方で子どもの生き方が大きく変わってくるからだ。


成長するにつけ、もろもろ子育てに関する悩みも尽きない。
多少の深刻さも否めないこともあるだろう。
子どもは親の玩具ではない、所有物でもない。
一個の立派な人格を持った人間である。
尊重しながらどう関わっていくか。


昨今の、学校でのいじめの問題も深刻である。
また、親や近親者による子への虐待など
耳を塞ぎたくなる、信じがたい胸の痛い事件があとを絶たない。


いったいどうしてこのようなことになるのか。


子どもが生まれたてのころ、幼少のころ、可愛さいっぱいで
どんなに目じりを下げたことだろう。
親としてのしあわせを存分に味わったはずだ。
親が、子に手を揚げたくなるほど子育てに悩んだら
わが子の小さいころのアルバムを開いてみたらどうだろうか。
ふっとそのころのしあわせに浸れるだろう。


信頼できる知人や友人に援けを求めるのもいい。
身近に祖父母がいたら尚更だ。
聴いてもらうだけでずいぶんラクになる。
ひとりで抱え込まないことが大切である。


この世でたった一人の、かけがえのない子どもだ。


社会情勢がどのように変化し、生きづらくなっても
子を守るのは親の務めであり、義務と責任がある。


貧困と虐待は連動するというけれど、
どうか、未来に向かって子どもたちが安心して
生きていける子育ての環境であって欲しいと願う。


若いパパやママも自分自身に風穴を開けて、わが身をも
愛おしみながら、子どもと向き合って欲しい。
屈託のない子どもたちをみていて痛切に感じた。



≪海賊船・潤平≫表彰され展示されたようである,バカ丸出しでスミマセン^^