嗜好の変化は年を経るにつれ

師走である。
クリスマスや年の瀬など、子どものころは嬉しくてならなかったものだが
歳を経るにつれ、愉しみごとは減っていくように感じる。
新しい年が明け、元日の朝になっても昨日の続きで
新年の心があらたまる感慨は、年々薄くなる一方だ。



年を重ねるとは、そういうことなのだろうかと
不心得者のわたしは今さらながら、そう諦観してみたりする。
一休禅士(大徳寺)の『門松は冥土の旅の一里塚、めでたくもありめでたくもなし』は
よくぞ詠まれたもの!と、膝をたたく思いである。


子どものころ、お正月のために新しい服や下着を親が新調してくれ
元旦が来るのが待ち遠しかった。
今や、それらは歳末を問わず日ごろ苦もなく子どもに与えられる。
もっとも正月を迎えるまでにクリスマスがあり、そのプレゼントに
財布と相談しいしい考える親心は、時代が変わっても同じだろう。


3週間ほど遅れて、わが息子と娘からの誕生日祝いが届いた。
例年、ダンゴより花を優先させているわたしも
仕事部屋で使っている電気ストーブが壊れ、買い替えを思案中だったため
これ幸いと実用品の「暖房器」をねだったのだ。
さっそく開いてみるとストーブは、コンパクトで可愛いデザインだ。
場所も取らず時代に合ったハイカラな代物である。
いろいろ迷った挙句の品選びだったのだろう。
ありがとう。
子どもたちの温かさも心をあったかくしてくれる。




還暦を過ぎたわたしも、やはり正月が近づくと「物欲など無くなった」などと吹聴している一方で、
自分のために何か買いたくなってくる。


そこでかねてから贔屓にしている或る大型店に足を運んでみた。
そこはかつての職場の近くにあり、ひょっこり訪ねて皆の拝顔でもしたいところだがあいにく日曜日である。
満員電車に揺られ、通ったオフィス街を懐かしく感じ
同僚に会いたいと思うようになったのも年齢のなせるわざなのか。
師走であるにも関わらず街も店舗も予想していたほど混雑していないのには驚いた。
長引く不況が影響しているのだろうか。
でもゆっくり目指すモノをみつけ、買い物できたことはうれしい。


[:
渋い色合いのストールが目に留まるといけません(−−〆)


数年前に買ったお気に入りのショルダーバッグをバカのひとつ覚えのように
使っていたわたしもさすがに新しいのが欲しくなり、求めた。
カバン類など当り前のように、かつては「ブランドの革製」が主だったのに
好みが変わったというのか、こだわらなくなっている。
退職後のいまは、大きな出費をしたくないということもあるが
それより何より、革製品は重くて肩が凝るというのが本音だ。
オシャレ度よりシンプルな「実」を優先させている自分におかしみを覚える。


同じようなことに外食や外での喫茶を愉しむことが減ったこともある。
以前は勤務しているとき、必要のある無しに関わらず
レストランや素敵な喫茶店をみつけては雰囲気をも味わっていたが
だんだんと「ウチ食」のようにわが家での味をいとおしむようになっている。
自分で淹れるアール・グレイやオレンジ・ペコなどの紅茶や
夕餉の煮物や「わがやの味の料理」が自分の舌に合い
おいしく感じ出したことが背景にある。


年年歳歳花相似たり、歳々年々人同じからず」と語られるが、
他者ではなく、瑣末な嗜好さえ年齢とともに変わってきている己を
新たに見つめる歳末である。