出会いは人生の分岐点

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若いころは、好奇心旺盛でおまけに八方美人タイプであった。

職場は言うに及ばず、趣味やサークル、お稽古ごとなどの

人間関係もそれなり大切にして活発に愉しんでいた。

 

40歳後半ぐらいころから「なんでもOK」に、しんどさを感じ始め

他者とのつきあいを「選択」している自分に気がついた。

選択の基準は、一緒にいて愉しいか、愉しくないか。

本音で語れるか、そうでないか。

向上心や向学心旺盛な人なら、いっそう会話に弾みがつく。

自らも、相手に何らかの刺激を与えたいし、もらいたいとも思う。

 

いまも、お互いが切磋琢磨でき、自らを成長させたいと願っている

ひとに魅力を感じ、そんな人と出会いたいと思っている。

少数でもいい、きちんと会話のリレーションができる人がいい。

 

還暦を過ぎ、ますますこれまでの人間関係の縮小に、拍車がかかっている。

寂しいとも感じないし贅肉が取れた分、すっきりした感がある。

「個」の時間もまたいとおしい。

 

そうしたなか、あるソーシャルネットワークでの出会いも多々あり、

バーチャルから現実世界でのつきあいに進展し、それを大切にしている

知人も数人いる。

 

たくさんの友達は要らない!と宣言する一方で

こうして予期せぬ心温まる出会はあるのだ。

運営するサイトにも感謝し、今という時代も享受する。

 

しかしSNSの交流や、出会いに事件が散見される。

実際わたしのネットの知人は、サイトでの投稿のやりとりで、

新たに参加した人物から激しい誹謗と中傷を浴び、あまつさえ身の

危険すら迫られていたようだ。

 

 

 

昨年、横浜で師が主宰する絵画展があり、初めて作品を出品した。

大阪から心細く会場に詰めているわたしに、ネット友が

たくさん訪れてくれ、いたく感激したのは昨日のことのようである。

 

そのなかのひとりにさんがいる。

東京圏内に住む彼女とは、その作品展の数か月前に親しくなったばかりである。

わたしの稚ブログに丁寧にコメントを入れてくれたことから

お互いを知ることになり、会場に出向いてくれたのだ。

 

会った瞬間から堰を切ったように話が弾み、まるで長く会わなかった

幼馴染に会ったような感激を双方が感じたのも、おもしろい。

他人に明かせなかった心の痛みを吐露してくれる。

こちらも同じように吐き出せる。

何と言う妙不思議な世界なのか。

「アンテナを張っていたから出会えたのよ~」と嬉しさを表してくれる。

 

彼女とスカイプで話すとき、生き方や将来に対する意気込みは、

生き生きとして共感多しである。

「ほんとにあなたと出会えて良かった!感謝しているのよ~」

さんは言ってくれるが、それはお互いさまだ。

 

さんは横浜の作品展でパソコン絵画に目覚め、一歩をあゆみ始めたようだ。

20年以上、水彩画に馴染んでいるだけに習得は早やいだろう。

『資格を取って、来る退職後に備えたい』と熱い。

 

PCネット・ワークは、多くの人を朋として結んでくれる。

これが契機となり新たな自分をみつけることの一助になる。

これからの年、10年、20年先を見据えて

想い描く人生に邁進したいものである。