読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

人は見かけによる、見かけによらない。

 

f:id:mursakisikibu:20130206123321j:plain

 

 標題は、かつてベストセラーにもなった両極の価値観を

掲げた2種の書籍名である。

 

 スマホ片手にくわえタバコで、自転車をぶっ飛ばす。

携帯に熱中するあまり駅のホームから落ちそうになる若い世代。

名もある大学の教授が女性のスカートのなかをカメラで覗き、職を失う。

かと思うと、どこかのお寺では葬式などの仏事にハローワークから

アルバイトを募り俄か坊さんを仕立て、派遣?したという話。

「派遣坊さん」の無知さに遺族がカンカンに怒ったというが当り前だ。

 

 いやはや人間、いい加減というか、怖いモノ知らずといおうか、

何でもありで、今さら驚くほうがおかしいのかもしれない。

常識などどこかへ吹き飛んでいるこの世の中は、

危険と隣り合わせで破廉恥多勢である。

 

 先日いつもの焼き立てパン屋さんで熱々のパンと珈琲で

ひと息入れていると、2歳児と5歳児ぐらいと見受けられる

幼児ふたりを連れた家族が入ってきた。

 

 ママはヤンキーねえちゃん風(いまどきこんな言葉が残っているのか知らない)

10センチはあろうかと思うような高いヒールにスリムなパンツ姿。

パパりんは少し、いかついニィチャン風だ。

夫婦は30代後半か。

 

 テーブルにかけてそれぞれ、飲み物やパンを食べていると

小さいほうの子どもが水をこぼした、しかも通路側に。

人が通ると滑って危ない場所だ。

さっと子どもは、パパとママの顔色を身体をすくめてうかがっている。

いまにもヤンキーママの罵声と、おとっつあんのビンタでも

飛んできそうな気配だ。

 

 最近は、ときどきスーパーやファミレスなどで

子どもを大きな声で叱ったり、汚い罵声を浴びせる親を見かける。

そのような場面に遭遇すると、感情的に怒っているように思え

わたしは、いたたまれない気持ちになってしまう。

 

まるで自分が叱られているように その子の身になって身が縮む。

若いパパやママは、もう少し優しく諭せないものかと思い

歳を重ねるにつれ、こちらも感受性が昂じ小さなことに胸が痛む。

 

 経緯を見守っていると、

なんと、ヤンキー風ママは

高いヒールを足音響かせ店員さんのところに行くと、神妙に詫びている。

そして「モップを貸してください、床を拭きますから」といい

わが子に「ちゃんと謝りなさい」と教えている。

 

 「いえいえ大丈夫です、こちらでやりますから」と

店員さんは慣れた手つきで床を拭き始めた。

2歳児は、ごめんなさいとぺこりと頭を下げ

オトッツアンは、ニコニコとなりゆきを眺めている。

 

 その様子をみていて、こちらはウルウルと涙が出そうになった。

大したことではない、当り前の光景なのだ。

だがこの予期せぬ展開にキチント「ことの判断」を

パパとママがやったということに安堵し、うれしくなった。

 

 子どもの躾や教育は、家庭で、両親で培っていくものだ。

一瞬一瞬の体験を看過しないで、一緒に考え言い聞かせ、

繰り返し教えていくことは、またとない躾の機会でもある。

子どもと一緒に親が謝る。

子どもはこうした積み重ねの一つひとつによって

親から「生きること」を学ぶのだ。

 

 前述の人々は、それなりに世間からは認知された職に就いていても

破廉恥な反社会的行為に走っている。

いやな時代である。

ヤンキー風夫婦をみて、人を外観で判断してはいけないと自らを恥じた。