あるがままに

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 ブログを始めて2月末で、丸10年になる。

夫の闘病で最期のときを迎えたあたりから

書かずにはおれなくなったことが、きっかけである。

パンパンに膨らんだ風船が、パチンと弾けるように

心のなかは何かを表出したい気持ちでいっぱいだった。

 

書きはじめて3カ月後に夫は他界したが

その前後の精神的、肉体的苦痛や、葛藤など吐き出したいことは

山ほどあり、吐露することでずいぶん自らが救われた感がある。

10年ほどのあいだに子どもたちが結婚し家を出るなど、住環境も変わった。

 

生き方の変遷や思いを文字にする、言語化することで自分が整理され

方向性が定まっていくような感もあった。

こころが浄化される「カタルシス効果も」味わった。

 

今ほどネット人口が多くないころ、ブログで自分を発信するひとは

限られていたけれど、あるコミュニティサイトに連動させたおかげで、

未知の人との出会いが増え、感動もひとしおだった。

まさにネットでないと出会えない人とのご縁。

リスクも高いけれど、現実世界とはまた違う面白さがある。

 

機嫌良く漂流していた昨年のある時期に

あることに遭遇し、ネット社会の危うさを体験した。

一度に気持ちが萎えるのを感じた。

ブログも止めてしまおうかと思ったほどである。

 

思えば長きに渡ってそのような思いをしたのが初めてというのも、

或る意味、運が良かったのかも知れない。

 

わたしは現実の人間関係でも直截的で、はっきりモノをいうほうである。

ヘンなところで正義感が頭をもたげることもあるが

他人を感化しようなどの、思いあがりは持っていないつもりである。

所詮、他人の人生だ。

 

他がとやかく言う筋合いのことではないことは承知しているし

自分自身、美化し、聖人君子のように生きたくもないし、生きていない。

「水澄めば魚住まじ」で、清濁合わせたのがこの世であると、

覚めた目も持っている。

生きるということは、きれいごとばかりではないはずだ。

と言いつつ人間に対する愛おしさは、ある。

好きだ。

 

ブログは「あるがまま」の自分の表出でもある。

 

何かのきっかけで自己防衛に走り、他を護る必要があるときは水面下で

発言に攻撃性を持たせることはある。

また、自分が発信していることが

他を傷つけていないか、危惧することはある。

誤解もあるだろう。

自分の伝えたいことが、うまく伝わらないジレンマもある。

意識する、しないに関わらず、傷つけてもいるだろうことは予測している。

 

「文は人なり」という。

ひとりの人間のなかにアンビバレンツな側面が

潜んでいることは周知のとおりだ。

己の内面をさらすときに、どの側面が多く表層化しているのか・・・

良くも悪くも、自分自身であることに変わりはない。

 

たくさんのひとの支持を得なくてもいい。

たったひとりでも、心から共感してくれたら嬉しい。

そんな気持ちで愚にもつかないよしなしごとを綴っている。

10年はあっという間だった。