摂言障害

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 タイトルをみて変換ミスを、思うなかれ。

故・臨床心理学者の河合隼雄氏が、著書「ココロの止まり木」のなかで

摂食障害」をもじった造語である。

実際にはこんな言葉はないようだが、病にたとえているのがおもしろい。

 

著書によると・・・

ご存じ摂食障害は、拒食症や過食症を総称してつくられた名称。

拒食症は食事をする気がなくなったり、食べたいのだけれど

食べられないという状態になったりして、だんだんとやせ細り

重い時にはそれによって命を失う場合がある。

 

過食はその逆でやたらと食べるのだが、味などはどうでもよく

ひたすら胃に詰め込むという感じで最後は食べた物を

すべて吐いてしまい、これも命を失うときがある。

 

このような拒食症は、初めは貴族の「病」であり

食物が豊富にないと生じない病であったそうだ。

食べるものが豊かになったころから急に広がり(先進国だけだが)

多くのひとが苦しむようになった。

 

摂食障害の治療には臨床医がいろいろ取り組んでいる。

そのことから連想して「摂言障害」と言ってもいいのではないかと氏。

「病」と意識しないで本人も、周囲の人も困っているのではないかと

思ったことから、そのような言葉を思いついたのだそうだ。

 

あまりにもすべてが豊かになって、書物にしろ、インターネットにしろ

言語情報があふれているので、本を読まない人が増えたのではないかとも。

 

本好きな親が子どものために児童文学全集などを買い与えても

子どもは見向きもしないなどを、例に挙げて

「どうして今の子どもは本を読まないのか」と親が相談に来ることに対し

書物がありすぎて、子どもが拒食症ならぬ「拒本症」になったようなものだと

言っている。

 

言い得ているなぁとわたしも思う。

わかるような気がする。

貧乏症のわたしは、冷蔵庫に満タンに食べものが詰まっていると

(めったいにないが)どういうわけか、あまり食べたいと思わなくなるのである。

反対に、果物でも食材でもギリギリで少ないと

大切に食べ、食欲が増すなど、ヘンな癖がある。

 

著書のなかで氏は・・・

過食症に似ているのは、あちらの知識、こちらの情報と「食いあさる」ので

その言葉を消化する暇がなく、結局は自分のものにならないのを

吐き出してしまうような場合がある。

 

食べる場合は胃袋があるので、どの程度が拒食、過食かと

わかりやすいが、言葉のほうは自分に必要な量がわかりにくいので

いったい食べ足りないのか、食べ過ぎなのかの判断が難しい。

このところが自分の「病」を自覚できないという困難な点であると言っている。

 

また電子メールなどで簡単に言葉のやりとりができるのも

「摂言障害」の原因ではないかと、氏は結んでいる。

 

洪水のようにあふれる情報は咀嚼する暇がなく

食材にたとえると泥がついていたりしっかり料理されていないのがある。

言葉の摂取と言う意味で、これまで意識しなかったことまで

吟味する必要があるのでは?とわたしも痛感している。