年齢を重ねるとは、こういうものかと、最近強く感じる。
それは「想像力」がたくましくなり、良きにつけ悪しきにつけ
ものごとの判断が深くなっていることだ。
気力、体力は若い時に比べ落ちてはいても
さほどモウロクはしていないはずだ。
いや、むしろ感受性が研ぎ澄まされていくように感じるからか
思索したり案じたり想像力を働かせるなどの密度が濃くなっていくように思う。
天から空が降ってくるなど杞憂だと笑っていられない。
いまや、なんでも起こり得る。
おちおち、街も歩いておれない。
かといって社会生活を営んでいる以上、それらを呑みこんで
危険に遭わないようにするしかない。
どうやって?
わが家は10階である。
非常時に備えて多少の水や食料の準備はしている。
大人ひとりの場合はなんとかなるかも知れないが
もし、孫たちを預かっているときに非常事態になったら?と
想像すると、恐ろしい。
ふだんから、そのことを考えておかねばならない。
乳幼児は、食べることから衣食住、とっさのときの
すべての判断が大人に委ねられる。
責任重大である。
運命とあきらめるしかない、いやそれでもあきらめられないが
他家へ嫁がせた娘の子どもたちである。
我が子とは事情が違ってくる。
そういう意味でも「孫を見る」というのは
いっそうの責任が伴い、より慎重になる。
チビたちが来るときは、必ず風呂場の湯を抜き、ドアをきちんとしめる。
テーブルの上のポットや、台所の洗剤など
危険なものを遠ざけたりするなどにも神経を使う。
それでも事故というのは、起きる。
絶えず、そのような心配をするからだろう、と最近思うようになった。
単に体力だけの問題だけではなさそうだ。
若い時は「イケイケドンドン」の怖いもの知らずで
楽天的思考の持ち主だったわたしも、特に幼いチビたち相手のときは
慎重に臨むようになっている。