過去10年のブログの遍歴

 

f:id:mursakisikibu:20130326130453j:plain

 スモモ・・万博公園にて

 

ブログを始めて10年ほど経つことは、以前触れた。

最初は己のホームページ(HP)に拙い文章を赤裸々につづり、

のちに、某ネットの軒先を借りてHPと連動させて

4年ほど綴っていた。

 

その後、シニアに特化されたSNSに参加して、

あらたに『二人でお茶を』(mursakisikibuの日記)

題するブログを始めたのが、現在の『はてな』である。

これを利用し始めて4年目を迎える。

ゆえに、わがブログの遍歴はツギハギだらけの10年ということになる。

カウントもその都度一から始まる、合算するとどれぐらいになるのやら・・・。

 

いまやブログの制作会社も最大手のFC2を始め、数えきれないほどある。

どれがいいのか、さっぱりわからないまま『はてな』を検索で知り

たどり着いたわけであるが、いまだによくシステムを理解していない。

いや、面倒なので知らなくていい、と言った方が正解か。

 

かくして、シニアに特化されたSNSに『はてな』で書いたブログを

連動させていたから、交流はもっぱらSNSが主体になっていき、

オフ会にも参加して会員との親交を深めてきた。

このため『はてな』自体のブログ住人とは、さほどの往来と交信はなかった。

 

ところが昨年の秋、SNSの会員を辞めた。

ひとりになってみると多少の寂しさも否めないが

解放感や気楽さもあり、それも悪くないなぁと思えてくる。

 

『はてな』に馴染みがなかったわたしも、リンクされた足跡()を頼りに

他のブログを訪れると、これがおもしろい!

クモの巣のように張り巡らされたリンクは、簡単に

自分の好みのページにたどり着けるから、どんどん輪が広がっていく。

このホシが、なかなか曲者で「読みましたよ」の気持ちを☆で足跡をつけると

未知の人との交流の扉がいっぺんに解き放たれた感がある。

 

草花や四季の風景をみごとな写真で表現し、それにふさわしい

文章が添えられたブログは、書き手の心情が伝わってくる。

花たちに寄せる愛情が言葉になってほとばしっている感がある。

特にマクロで小さな芽をいとおし気に撮ったものなど

花好きなわたしには、たまらない表現だ。

 

料理に特化されたブログもその写真のきれいさが圧巻で

食いしん坊のわたしは、まさに食指をそそられている。

また文学に特化した奥の深い文章が書かれるブログにも多々触れると、

一遍の短編小説を読む快感を覚える。

密かに訪れては、わたしは唸っているのである。

自らの心情をさりげなくそのまま吐き出しているブログにも感動し、

文章のうまさに舌を巻く思いだ。

 

原発に憤り、政治に深い関心を寄せ、それらをみごとに表現している

ブログも読むたびに、専門家が書いたのではないそれらに

いっそうの説得性を感じ、こちらの不勉強を恥じ入る。

 

今さらながら、であるが、ブログのおもしろさにハマっている。

読ませるブログが多いので、つい時間を費やしてしまう。

居ながらにして諸々の住人の生き方や世界観がわかり、

「宝」をさぐり当てたような嬉しさがある。

 

ブログのなかでやり取りを重ねるなか、一方では

SNSなどのようにグループ化されていないので

書き手の略歴など、わからないことも多い。

居住地や年齢も、時には性別だって勘違いしていたこともある。

 

わたしの拙ないブログの「読者になる」に登録してくださっている方に

息子や娘のような若い世代がいることも驚きであり、うれしく思う。

 

人間を好むわたしの性癖からすると、もう一歩進んだ

交流を望みたいところだが、それはできるのか否か。

SNSに比べて、深まっていかないのだろうか。

まだ、未知である。

 

しかし、また君子の交わりは如水が(淡きこと水の如し)が

いいのかも知れないと思ったりもする。

 SNSで、親交のあった方々は、いまも拙ブログを

訪ねてくださっていて、うれしい限りだ。

こちらも、これまで培ってきた人間関係を大切にしたい気持ちがあり

交流は続けていけたらと願う。

 

 振り返ってみると、ブログに関しては、SNSという池や湖から

大海に飛び出してきた感が、ありフィールドは広いなぁと思う。

そこには、年配の方から若い人々、いろいろな経歴や種々の

経験を重ねた多士済々がいて、まさに足元に「お宝」があった!と

いう思いである。

ブログの遍歴は、おもしろいことに遭遇するものである。