知人の晴れ舞台

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連休最後の日、国立文楽劇場へ行ってきた。

文楽を観るためではなく、知人の日本舞踊の

発表会が、こちらの会場で行われるためだ。

 

 知人とは10年以も前の「弥生会計」ソフトの習熟の

講座で知り合い、以来年賀状だけのおつきあいになっていた。

その知人が退職してから日本舞踊を習い始め

晴れの舞台となったようである。

 

文楽劇場へは初めて足を運んだ。

近くに住んでいても行く機会はない。

仰々しい造りの立派な会館だ。

府の事業縮小のやり玉に一番に上がっている建物だが

まだ健在のようである。

 

 最近はお稽古ごとの発表会もこんな立派な会場でやるのか・・・。

かなりの動員を行わないことには会場の席が埋まらない。

1枚数千円のチケットが、こちらにも回ってきた、無料招待である。

 

大変だなぁ、出演するにも相当の経費がかかっただろうことは

容易に想像できる。

 

 他人の懐を心配しても始まらないが、とにかく

プロではない方たちの踊りをこのような舞台で観るのは初めてだ。

 

 知人はプログラムの真ん中あたりに出てきた。

演目は「鐘の岬」で、道成寺の「鐘にうらみは・・・」から

思い始めたが縁じゃえ」までを地唄から移した、という作品らしい。

古典は、わかるようで、わからない・・・??

 

 しかし60歳半ばで楚々とした娘を踊る知人の艶やかな舞いは

背景や舞台装置も素晴らしく、朗々とした謡も申し分ないように感じた。

彼女は優雅に舞っており、見ているこちらも緊張が解ける。

 

 なにしろ前後して躍った方の緊張があまりに強く

花道の傍でみていた観客は一様に、心配したものである。

顔の表情がはっきり見てとれるのも残酷だ。

額がひきつり、ピクピクと痙攣し手足が震え、

今にも倒れそうな人もいたからである。

 

観る側も赤の他人であってもそれなりの緊張が伴う。

感情移入と、自分を置き換えて観ているのだ。

一つひとつの演目が終わるたびにホッとする。

プロの舞踊であれば、あるいはゆったりと愉しめたのかも知れないが。

 

 それでも皆さんの日ごろの成果は充分発揮出来たと見え

終わった人は安堵の顔つきで舞台から降りて楽屋へと戻っていく。

彼女が舞台から消え、着物を脱いでしまわない内にと急いで楽屋を訪ねた。

同窓生や、近親者に囲まれ知人は心底、ほっとしたようである。

 

「おつかれさま!とっても良かったわ!」

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声をかけて写真を撮らせていただいた。

艶やかな衣装に色っぽさが滲んでいた。

いつか描いてみたい。

 

 「着物、いくらぐらいかかったの?」

友人さんが、あけすけに訊いている。

このあたりが大阪人らしいところか。

豪華な衣装に、かつら、メーキャップなどなど、やはり

想像以上のようである。

 

 なにごとにつけ、挑戦してその成果を披露するということは

大変なエネルギーを要する。

 

 それにしても幕間に聴こえて来た辛辣な観客の言葉・・・

「まっしろく塗った手に朱のマニキュアが不謹慎」

「ヨタヨタと今にも転びそうで見ておれなかった」とか・・・

彼女のことではなくて全体の印象らしいが

ヘンなところも観察して手厳しい。

大阪人の気質なのだろうか。

 

一段と輝いて見えたAさん、おつかれさま。

愉しい時間を過ごさせていただきました、ありがとう。